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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.14
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 中村彰秀(福岡県)

YELL 画像

<略歴>
1975年 福岡県行橋市生まれ
1981年 行橋珠算学校にて西野嘉賢先生に師事

福岡県立京都高等学校・九州大学理学部数学科卒業

1998年 ㈱ジャストシステムに開発職として勤務
2005年 北九州市立守恒中学校数学科教諭 バスケットボール部顧問
2008年 北九州市立高等学校数学科教諭 珠算部顧問 

現在に至る


そろばんに魅せられ
そろばんに導かれ
そろばんに創られた半生


 はじめまして。福岡県は北九州市立高等学校にて数学科教諭として勤務している中村彰秀と申します。2004年末まで選手として活動しておりましたが、引退した後も「珠算部顧問」という形で運よく珠算に関わらせていただいております。そろばんOBといえるか微妙なラインにいる私ですが、本稿が先生方のお目に留まるのも何かの縁。先生方への、そして珠算界へのYELLとなれば幸いです。

 2008年に北九州市立高等学校に赴任し、かれこれ10年が経ちました。それ以前は中学校でバスケットボール部の顧問として生徒たちと汗を流す日々。運動経験が全くない私でしたが、「若い男性教員は運動部の顧問」という風潮のもと、奮闘しておりました。
 赴任先の高校には奇跡的に珠算部があり、奇跡的に顧問枠に空きがあり、奇跡的なご縁で再び珠算と関わることになりました。顧問就任が決定し、まだ見ぬ生徒を想像しながら、全日本珠算選手権大会をはじめとする珠算大会で活躍させたいという願いを胸に、生徒との初対面を待ちわびていました。
 いざ現場に入ってみると、そこには私の知らなかった珠算の世界が待ち受けていました。ほとんどの高校の珠算部は夏に行われる「全国高等学校珠算・電卓競技大会」を最大の目標に設定して活動しているのですが、この大会の説明をするために、高校珠算界における「珠算」の立ち位置を確認しておかないといけません。

 珠算は高等学校の授業区分としては商業科目に属します。珠算は「年金」「手形」「株式・債券」「減価償却」などさまざまなビジネスシーンで活用されることが前提。したがって、高校珠算部の大会はビジネスにおける計算、すなわち応用計算が重視されることになります。残念ながら、実務ツールとしてのそろばんはすでに役目を終えたといっても過言ではありませんが、高校教育には色濃く残っているわけです。
 それは「全国高等学校珠算・電卓競技大会」の総合競技の内訳にも表れています。普通計算(乗算・除算・見取算)が300点、応用計算が300点の合計600点満点。普通計算は五~六段程度でも満点をとれる可能性があるため、必然的に応用計算の練習に割く時間が長くなります。高校大会の応用計算はとても難しいうえ、近年難問化が進んでおり、弾く力以上に知識や読解力が問われる、経験がモノをいう種目です。逆にいえば、高校入学後初めてそろばんに触れる生徒でも、3年間がんばれば全国大会で活躍できる選手になれる可能性も秘めています。
 また、ビジネスを意識しているということで、礼法指導にも力を入れている珠算部が多いと思います。珠算塾の先生方からみられて、珠算部の生徒はマナーがしっかりしている、子供たちの手本になる、という好印象を抱いていただければ、顧問としてこれほどうれしいことはありません。
 このような世界があると知らずに顧問となった私は、気がつけば高校珠算界の魅力に、そして応用計算の魅力にどっぷりと浸かっていきました。

 ところで近年、小学生以下の珠算人口は増加傾向にあるといわれているようですが、高校珠算界に身を置いている立場としては、そのことを感じられる機会はほとんどありません。事実、20年ほど前、福岡県大会に参加していた高校は20校以上ありましたが、本年はわずかに5校。わずか2~3校で全国大会予選を行っている地域もあると聞いております。このことからもわかるように、高校珠算部は存続の危機を乗り越えられなかったところが数多くあり、選手勧誘は大きなテーマであります。
 冬の時代といっても過言ではない高校珠算界ですが、北九州市を中心とした福岡県の先生方に多大なご支援をいただき、本校珠算部は活動を続けることができております。中でも本校珠算部OBで「長谷川珠算塾」(北九州市戸畑区)を主宰されている長谷川雅子先生には、年中無休・24時間体制で支えていただいております。明るく、楽しく、厳しく、格好よく、ときには生徒を突き放し、それ以上に抱きしめ、心を掴んで離さない指導はいつもほれぼれしています。悩みや相談も多く聞いていただき、尊敬してやまない先生です。
 数多くの十段位取得者を輩出し、技術指導面でも超一流。そのうえ、珠算界全体のことを考えて行動される姿を見て、私も珠算界に恩返しをしなくてはならないと考えるようになりました。できることといえば限られますが、例えば小学校でボランティア授業を企画したり、小中学生向けの大会のお手伝いをさせていただいたり、練習問題を作成するなど、微力ながらも活動を始めたのは、長谷川先生の言外のお導きによるものです。

 今でこそ高校の教員をしていますが、この夢を実現できたのは33歳のときでした。大学を選ぶとき「高校で数学を教えたい」という希望を持ち進学先を決めたものの、卒業時に受験した教員採用試験は不合格。教員の道を諦め、プログラマーとして徳島県で働くことを選択しました。中学校3年生でそろばんを辞め、そろばんと接点のない生活を約10年間送っていましたが、25歳のときに「山下珠算塾」(徳島県北島町)を主宰されている山下キセ子先生と出会ったことで、私の人生の方向性が大きく動きはじめます。
 西暦2000年を迎えインターネットが家庭に浸透し始めたころ、珠算七段、暗算弐段のアンバランスが何となく気にかかり、検索した結果見つかったのが山下珠算塾との馴れ初め。このときの何気ない気がかりがなければ、きっと私はIT業界で別の夢を見ていたことでしょう。
 山下先生には珠算九段、暗算九段まで育てていただきました。大人になっても能力を伸ばすことができるということを教えていただき、その結果、全国各地に切磋琢磨する仲間もできました。視野を広げていただいただけでなく、子供たちと関わることの楽しさ、教えることの喜び、そして大人になって習い事に関わる意味を理解させていただきました。
 山下珠算塾での5年間が「教員になりたい」という目標を再び思い出させ、30歳で教師へと転身。3年間の中学校勤務を経て、33歳で現任校へ異動を果たします。「高校で数学を教えたい」の思いが実現しただけでなく、再びそろばんとも関われているのは、山下先生から「念ずれば通ず」ということを示していただいたおかげだと感謝しております。

 そんな私の珠算人生は、小学校1年生の5月2日、「行橋珠算学校」(故西野嘉賢先生主宰)からスタートします。どのようにしてそろばんに興味を持ったのか記憶しておりませんが、両親がいうには「とにかくそろばんを習わせてほしい」と懇願したとのこと。今思えば、生まれて初めてのテスト(しかも算数)で0点を取ったことがきっかけだったのかもしれません。
 西野先生の第一印象はとにかく怖い。いたずらや手抜きをして怒られたときの迫力は凄まじいものがありました。しかし、教えてくださる声は非常に穏やかで新しいことを吸収しようとすると、とても褒めてくださいます。楽しみながら「努力は裏切らない」という生きる基本を教えていただきました。読上算を歌うように読まれる先生で、練習の最後に毎回読んでいただいたおかげで、読上算が一番の得意種目になりました。現在指導の柱の一つとして読上算を据えているのは、間違いなく行橋珠算学校の経験に由来しています。
 勉強や進路の相談にもよく乗っていただきました。特に高校進学の際は、商業科進学を希望していた私に、同じ学校の別学科進学を勧めていただきました。その結果、大学進学を果たし現在にいたります。

 普通の会社員と主婦の間に育った私ですが、教育の道に入ったこと、珠算に再び関われていることを両親はとても喜んでくれています。(ただ、現時点では早く結婚することが一番の親孝行のようです)
 その両親は、何度も珠算から離れたにも関わらず、今また珠算に関わることができている私を見て「西野先生からよい【遊び道具】を教えてもらったおかげだね」といいます。【珠算=遊び道具】と形容され、私と珠算の関係は【一生ともにする遊び仲間】のように感じるようになりました。

 「弟子に準備ができたとき、師が現れる」といわれますが、これまで数多くの先生方が、私の段階に応じて導いてくださいました。そして、どの先生も「心と心のふれあい」をベースに私に接してくださいます。本稿をお読みの先生方と出会うときは、私の準備が整ったとき。出会いに導かれ、さらに成長した未来の自分を想像すると楽しみで仕方ありません。

 末筆となりましたが、貴連盟には光栄にも原稿執筆の機会と先生方とのご縁をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。先生方をはじめ、そろばんに携わっておられるすべてのみなさまのご多幸を祈念し、筆をおかせていただきます。

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