YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~    

YELL  VOL.10
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 福島 弘之(パナソニック株式会社 珠算部)

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<略歴>
・昭和52年
 大阪府吹田市生まれ
・兵庫県神戸市、高知市、徳島市、兵庫県西宮市の4地域で珠算を修学
・平成12年 
 関西学院大学商学部 卒業
 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社) 入社
・平成25年
 インドネシアの海外子会社に経理担当取締役として赴任
・パナソニック珠算部主将を兼任
【珠算十段・暗算十段】

 私は、まだ現役で珠算競技生活を続けている社会人です。すなわち、そろばんOBでもなく、未だに周りの多くの方から応援していただいているわけであり、YELLの主旨からは外れているかもしれません。しかしながら、光栄なことに本原稿のご依頼をいただきましたので、今までそろばんを通じて得た貴重な出会い、気付き、今後の目標についてお話させていただこうと思います。

 そろばんを始めたのは6歳の誕生日当日、全くそろばんに無縁の親に連れられて教室に行ったのが最初でした。小学校1年生から許される入塾を、無理言って入れてもらい、ちゃんとやらないとすぐやめさせるぞ、と脅されながら始めた記憶が残っています。ある日、教室での隣の席が小学校高学年か中学生のお兄ちゃんで、そろばんの弾きが速いこと、速いこと・・・。あとで聞くとまだ参段とのことでしたが、入塾当初の私にはそれは衝撃的な光景でした。それ以来、とにかくあのようにやってみたいと、練習でも検定本番でも定められた制限時間など眼中に無し、今日はどれくらい短く、速く、そして激しくそろばんができるか、ある意味「競技気質」が私の中に生まれたきっかけになったように思います。

 その後、親の転勤で転居が数回あり、そのたびにそろばん教室も変わり、新たな先生にご指導いただきながら、そろばんを続けてきました。ありがたいことに常に誰か競争相手がおり、かつ競技好きな先生ばかりでしたので、自分に合った形で継続し、中学入学と同時に再び転居で4つ目のそろばん教室に移りました。初の男性の先生であったこと、中学生ですから、それなりに緊張感を滲ませながら、おとなしく最初の練習に臨んでいたのですが、乗算・除算と終わり、次の見取算が始まった瞬間、計算準備で構えた私のそろばんを取りあげ、「何そろばん使ってるんや!!」と。今となれば、全日本大会でもほとんどの人が見取算は暗算で行うことがスタンダードですが、片田舎から出てきた私は、何を怒られたのか、何が問題なのか、ただ固まるばかりでした。先生の想像をはるかに超える私の深刻な暗算不得手により、その後の昇段(全珠連四段→五段)に5年もかかるというオチもつくのですが、あの瞬間のおかげで、今の暗算力勝負の時代でも現役として続けられる素地となったことは間違いなく、今では酒席の笑い話の一つとして、よき思い出です。

 社会人になっても、そろばんを通じた出会いが私を豊かにしてくれました。パナソニック株式会社に入社し、今では企業で唯一存在している珠算部にも入部、そこで出会った仲間は私より遥かに上手な人ばかりで、練習を一緒にすることで、かなり成績的にも引っ張りあげてもらいました。同時に2001年以降の全日本珠算選手権大会のオープン化(予選はなく自由に出場可能)や、多くの新規競技大会の創設などのありがたい流れにも乗り、全国にも友人やライバルが増え、本当にやりやすい環境でそろばんを続けさせてもらっています。

 自分自身の今までのそろばん人生を振り返り、改めて思うことは、そろばんを通じて出会った方々や、与えていただいた経験等のおかげで、今の自分が成り立っていると強く思います。そして、それが不思議と繋がっていたり、挫折しそうになったときにちょうど仲間が前向きになれる元気を与えてくれたり、本当に幸運であると心よりそう感じています。 一方で、その幸運を100%生かすことができたかというと、今となればもっとあのときにがんばれたのではないか、もっと期待に応えられたのではないか、と後悔することもたくさんあります。運は自分ではコントロールすることができませんが、その巡りあわせに対してどう生かすか、どうアクションを起こすかはすべて自分次第です。
 とにかく全力でそろばんに向かいあっていくことが、何よりの恩返しになるのではないかと感じています。

 話は変わりますが、私は2013年よりインドネシアで働いています。安い労働力を求め、ほとんどのモノづくりを海外移転させてきたメーカーの宿命ではあるのですが、いざ自分自身が海外で働くことになるとは想像できず、不安しかない中で急ぎ赴任したことを昨日のことのように覚えています。
 しかしいざ赴任し、身を助けてくれたのもそろばんでした。インドネシアの人から見ると、私はどこから来たのか得体の知れない謎の外国人、最初は警戒しながらの関係で仕事が始まります。そんな人間が資料を数秒ながめただけで、ここの部分が間違っている、こんな答えの桁にはならない、これくらいの数値になるから見直して、というふうにバシバシ言い当てていくと、インドネシア人からするともう理解不能、マジックのように感じたようです。インドネシアの国民性を表わす言葉に「kira-kira(キラキラ)」というものがあります。これは和訳すると「だいたい、おおよそ」という意味で、よくいうと細部にこだわらず大らかな性格、悪くいうと大事なところでも適当に済ませるというような様子を表現しています。そういう背景もあり、読み方からも比較的日本人が最初に覚えるインドネシア語ですので、「これとそれを掛けて、この数字で割ったら、kira-kira 125.6%になるやろ?」と会話すると、「ボス、それ、kira-kiraじゃないです」と、一体どうなっているんだ、という顔で笑ってくれます。数字や計算は世界共通、そろばんが距離を縮めてくれた一つの出来事です。
 一方、インドネシアは日本の40年ほど前の状況のような気がします。急激な経済発展が始まり、多くの人にとって憧れの物であった車やバイクを手に入れるようになり、世界一激しいといわれる交通渋滞が毎日起きています。さらに、これから学歴社会が始まるといわれており、子供にかける学費に給料の大部分を費やすケースや、仕事をしながら自分自身も大学に通う従業員も多くいます。そろばんにおいても大きな珠算団体が存在し、数回私も教室に突撃訪問させていただきましたが、5桁の見取算を一括で暗算しようとしている子供も見かけるほど、将来は今の日本に負けないくらいのレベルになるのではないかと感じざるを得ません。 

 私自身はさすがにこれから選手としては大きく伸びることはないでしょう。一方、これも本当に偶然が重なりインドネシアに来て、また新たに刺激を受けたもの、得たものは本当に多くあります。今までそろばんを通じて私が得た貴重な出会いや経験を、今後、逆に影響を与える側の存在にどうやってなっていこうか、たまにふと頭の中を巡るときもあります。まだまだ私自身は修行が足りませんし、具体的にどのような形で、というアウトラインも全く見えておりませんが、後悔なく真摯にこれからもそろばんに向かいあっていきたいと思っています。このすばらしいそろばんを通じて繋がる未来に向かって、皆様とご一緒に、これからもそろばんにYELLを送っていきたいと思います。  以 上

※連盟広報誌「全珠連会報」第172号(2017.3)に掲載


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