YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.8
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 伊藤 祥三(東京大学医学部整形外科学教室)
※連盟広報誌「全珠連会報」第170号(2016.7)に掲載
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滋賀県彦根市生まれ
私立洛南高等学校・東京大学医学部医学科卒
大学卒業後、東京大学医学部整形外科学教室に入局
関連病院での研修を経て、2008年東京大学大学院医学系研究科に進学
軟骨細胞代謝に関する研究で学位取得
2012年4月より東京逓信病院にて勤務

小・中・大と野球一筋、現在でも東大整形外科野球部でプレー中
同部は2007年・2015年に整形外科野球の全国大会で優勝


珠算が叶えてくれた夢

 18歳で故郷を離れて東京の街に降り立ち、早いものでもう20年以上が経ちました。整形外科医として勤務し、自宅に戻れば2児の父として過ごす毎日です。この度、光栄にも原稿のご依頼をいただきましたので、「珠算」を軸として半生を振り返りつつ、ささやかながらメッセージを送りたいと思います。

 私が生まれ育ったのは滋賀県彦根市です。小学校へ入学直後から彦根北野速算塾に通い始め、上原一孝先生・京子先生にご指導を賜りました。前の席にどっしり座り、ときに厳しく生徒を叱って教室の空気を引き締めておられた一孝先生。それをいつも優しくサポートなさっていた京子先生。1年生の生徒はほとんどおらず、指導にあたってはご苦労もおありだったと想像しますが、お二人に優しく教えていただき、楽しみながら力を伸ばすことができました。ほどなく大会にも出場し始めましたが、当然ながら最初はまるで歯が立たず、悔しい思いばかりでした。それゆえ2年生時に初めて読上暗算で入賞したときの喜びは、今でもはっきり覚えているほどです。1問でも間違えたら終わり、というプレッシャーが心地よく感じられ、大会に出るのが毎回楽しみでした。
 
 このように珠算に打ち込む一方、幼少期から野球が大好きで、3年生の秋にはスポーツ少年団に入りました。副主将で4番捕手という役割を担っていたため、予定が重なったときには珠算よりも野球を優先せざるを得ませんでした。珠算に関しては苦しい日々を送ることになりましたが、上原先生に支えていただき、小学校を卒業するまで続けることができました。野球の合間を縫って参加した大会で、何度か優勝を経験できたことはよき思い出です。

 珠算競技の中で、私が最も得意としていたのは暗算です。暗算全盛の現代にあっては信じ難い話かもしれませんが、当時は珠算を習っていても暗算だけは苦手、という人が多くいました。その中で、幼い頃からクイズやパズルなど、とにかく頭を使う遊びが好きだった私にとっては、頭の中だけで計算できることが面白くて仕方ありませんでした。余談ですが、暗算のブレイクスルーとなったのは珠算経験者である母親の「頭の中でそろばんを弾くといいよ」という何気ない一言でした。今では当たり前の指導法ですが、そのときはまさに目からウロコでした。ただ、アドバイスをくれた母親自身は、暗算がそれほど得意ではありません(笑)。

 中学・高校では競技としての珠算に接する機会はありませんでした。病気がちであった祖母と同居していたことから医師を志すようになり、幸運にも恵まれて東京大学に合格。その後、整形外科医となり,現在に至っています。

 冒頭でも書きましたが、私には2人の子供がおります。かねてから子供にも珠算を習わせたい、という想いがあり、妻もそれを理解してくれたため、Sanraku Soroban Schoolの門を叩き、菊地正芳先生にご指導をいただくこととなりました。最初に教室へ足を踏み入れたときの驚きは忘れ得ません。ずらっと並ぶPCモニター、当たり前のように計算を重ねる子供たち…。珠算教育の劇的な変化を目の当たりにした瞬間でした。

 そして、久しぶりに珠算と接したことで、少し不思議な感情が芽生えてきました。かつての珠算人生がいささか不完全燃焼に終わっていたのではないか、と思い始めたのです。本格的に競技へ復帰するのは無理にしても、かつて珠算に一生懸命取り組んだ証を残したいと考えた私は、無謀にも全日本珠算選手権大会の出場権を得る、という目標を立てました。菊地先生にお許しをいただき、教室では娘と並んで練習、自宅では早起きして出勤前に練習をし検定試験に臨み、何とか珠算五段・暗算八段まで辿り着きました。中学時には珠算弐段止まりでしたから、まずまずがんばったとは思います。
 
 かくして平成26年8月8日、晴れて全日本珠算選手権大会に出場することができました。開会式で自分の名前がスクリーンに現れた際には、えも言われぬ感動に包まれたことを覚えています。この大会では驚きの出来事もありました。小学生時代の私を知る伊部ソロバン教室の伊部征子先生が名前を見つけて、声をかけてくださったのです。それがご縁で後日,上原京子先生とも再会でき、夏休みの思い出に貴重な1ページが加わりました(残念ながら一孝先生は既に鬼籍に入られておりました。ご冥福をお祈りいたします)。

 お分かりの通り、私の腕前は一流選手から見れば取るに足らない程度のものです。ですが人生が変わった、という表現が決して誇張でないほどに、私は珠算から多くのものを与えてもらいました。

 まず暗算力の礎を築いてくれました。ここで言う「暗算力」とは計算するだけの半ば機械的な処理能力ではなく、珠算式暗算のアルゴリズム(計算手順、十進法を基礎としての計算)を基盤とした複合的な計算力のことです。「あらゆる計算を頭の中だけで完了させる能力」とでもいえばよいでしょうか。今の子供たちを見ていると、検定試験的な問題には強いのですが、例えば「27打数10安打のバッターの打率は?」「2,500円の商品に対する消費税はいくら?」といったような問題には答えられなかったりします。これは暗算能力があっても、それを活用する術を知らないためです。私は暗算との出会いをきっかけに、日々出会う数字に注目し計算してみる、という習慣ができました。それにより数字が持つ有機的な意味や背景が理解できるようになり、あらゆる計算に強くなったと考えています。先ほど暗算力の「礎」と書いたのはこういった理由からです。この観点からは、珠算教育では競技としての暗算の力を伸ばすだけでなく、それを応用・発展させる指導にもう少し重きを置いてもよいのかもしれません。

 また、ここ一番という場面に強くなりました。基本的に珠算では一発勝負で白黒が決まりますから、必然的に厳しい局面でも最大限のパフォーマンスを発揮して結果を出さなければなりません。そのときは意識していませんでしたが、小学生の頃からこのような場数をたくさん踏ませていただいたことは、後に大きくものをいいました。

 これらが結集して最も活かされたのは大学受験のときです。私の強みは、ややこしい計算が必要となる問題で大きく時間を節約し、浮いた分を他の問題に回せることでした。例えば理想気体の状態方程式では気体定数(0.082)・絶対温度(摂氏温度+273)などの面倒な数値が出てきます。私は暗算のみでそれを素早く処理し、その分思考力を要する問題に多くの時間を割いていました。

 本番当日、会場はピンと張り詰めた異様な空気に包まれていましたが、私は全く緊張せず落ち着いていました。珠算の大会などで数々の似たような経験をしていたことに加え、自分には暗算力という周りの誰にも負けない武器がある、という自信が平常心をもたらしてくれたのだと思います。タラレバの話になりますが、もし珠算と無縁だったならば、医師になるという夢は叶わなかったかもしれません。

 この原稿を書いている今、娘は珠算弐段・暗算四段まで合格、最近始めたばかりの息子はたどたどしい指使いながら六級の練習に取り組み、妻は送り迎えを中心として子供たちを支えてくれています。私がそうであったように、子供たちが珠算を習う意味や価値に気がつくのは、ずっとずっと先のことなのでしょう。「珠算を習っていてよかった!」と笑顔で言ってくれる日が来るのを心待ちにしています。

 最後になりましたが、珠算を習わせてくれた両親、温かくご指導くださった上原先生ご夫妻、子供たちを熱心にご指導くださっている菊地正芳先生、並びに私の珠算人生を支えてくださった多くの皆さまに、深い感謝の意を示したいと思います。



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