YELL ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.2
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 樋口 清司 (JAXA副理事長)
略歴
※連盟広報紙「全珠連会報」第164号に掲載


 私は宇宙開発に興味を持ち、ふとしたことからそれが一生の仕事になった人間です。この人生に、若いころ受けた珠算の修練が大きく影響していることを折に触れ感じています。珠算は私にとって少年期と青年期初期における「修業の場」、「人間形成の場」、「人との出会いや交流の場」でした。小学4年生で始め、中学3年生まで競技会に出ていました。高校生、大学生の時は書生のような形で珠算塾を手伝っておりました。
 お世話になった塾は、三重県四日市市富田一色の旭勢速算学会、先生は長尾計人先生でした。後年、先生は長尾珠算学園を創立され、私もそちらに移りました。日曜日を除く毎日1時間、先生の指示とそろばんの玉をはじく音以外は聞こえてこない厳格な雰囲気での練習でした。習い事というより修練といった言葉のほうがふさわしいものでした。そんな雰囲気の中で、珠を動かすことに集中し一生懸命に練習したというか、練習に集中しなければ先生から厳しい叱声や愛のムチが飛んでくる雰囲気でした。結果として根気と集中力を養う訓練になったように思います。私はどちらかというと飽きっぽい性格ですが、宇宙開発の世界に入ってロケットの性能計算をコンピューターでやるようになり、その膨大なインプットデータを作成する作業やロケット打ち上げ前に試験検査データをひとつひとつ丁寧に確認する作業は、正確さと根気を必要とし、まさに珠算の練習で訓練した資質そのものでした。珠算は数字が一つ違っていても間違いです。宇宙の世界も一つの誤りが大きな失敗につながります。データを丹念に確認していく作業は集中力と根気の勝負です。
 小学6年生になり、一般の生徒から、競技会に参加できる可能性のある選手組に入れていただきました。私の珠算歴は小学4年生からです。正直なところ一流の選手になるには、始めた時期は遅すぎました。いつも補欠組で悔しい思いをしました。小学2、3年生で始めていた同級生や、私より若い選手にどうにも歯が立ちませんでした。中学生になって時々選手として団体戦に出場できるようになりましたが、いつも劣等感を心に抱いて練習していました。口幅ったいことですが、私は学業も運動もあまり劣等感を感じることなく小中学校を過ごしてきました。もし選手組に入り素晴らしい同級生の珠算術を目の当たりにしなければ、劣等感や負けん気を自覚することなく過ごしていたのではないかと思います。また、わがチームには団体や個人種目で日本一になったものが数人いるチームでした。したがって日本一になる術がどんなものか目の当たりにすることもできました。みんな毎日同じ学校で机を並べている友達です。むやみに恐れることもなく、一流のものを見る目や人と接する心の持ち方をこの時自然に習得したのではないかと思います。そして一流になるにはどんな練習をし、どんな気持ちで練習すべきか、特別練習を通じて学んだような気がします。先生の気迫に満ちた指導と、それに真剣勝負で応える友人たちを目の当たりにして、子供心にも精神力の重要さや気合を入れた時の人間としての迫力を肌で感じていました。後の人生観に大きな影響を与えたと思います。
 ひとつだけ忘れられない思い出話を紹介します。ある三重県大会でわがチームは団体で優勝できず2位でした。その反省会で先生は団体2位の表彰状と賞品を皆の前で破りごみ箱に捨てました。2位に甘んじていてはこの先進歩がない。なぜ1位になれなかったか一人一人に猛省を促され、2位でまずまずだったと思っている生徒の甘さを痛烈に批判されました。今だから思うのですが、先生自身も自分の甘さを乗り越えようとされていたのではないかと思うところがあります。
 そんな先生も我々が中学生になった時から完全に指導方法を変えられました。練習時間の指定もなく、自由練習と称していつでも好きな時に塾に行き、好きなだけ練習することを勧めました。競技会の1週間前から合同練習を行いましたが、基本的には生徒の自主的な行動を推奨されました。中学生になって部活があり小学生の時のように同じ時間に集まれない事情もありましたが、中学生としての自覚を促し、自己管理を前提に自立した人間になることを期待しての扱いだったと思います。小学生時代の徹底した指導から一転、生徒を信用し自立することを望んだ放任主義の指導法は、今思い返しても見事なものでした。必然的に友達同士で練習方法や練習計画を相談し協力するようになりました。練習だけでなく、遊びも一緒で、どんどん友達として親しくなっていきました。この時の仲間はその後半世紀を超えて友人として、人生折に触れいろいろな形で付き合いを続けています。これは私にとって大変な財産です。数年前には彼らが中心になって小学校の同窓会をつくばで開催してくれました。私が宇宙航空研究開発機構(JAXA)に勤めている間に、皆で筑波宇宙センターを見学しようと企画してくれました。三重県四日市市から大型バスを貸し切って、8時間かけて50人近くが来てくれました。前の晩に筑波山神前の旅館で一夜を共にし、翌日筑波宇宙センターを見学し、その後立食パーティーで旧交を温めました。皆にとって忘れられない時間となりました。
 宇宙の世界に入って、珠算は思わぬ形で私の人生を助けてくれました。大学を出たばかりで何もできない新人の私を、そろばんができると知った上司は結構重宝してくれました。エクセルのない時代、開法もできるそろばんの能力はかなり役立ちました。ロケットや衛星の重量は、設計上非常に重要な数値で、その管理と分析検討は設計の中核をなす仕事でした。
 30歳代の後半、1980年代に入ると国際宇宙ステーション計画に関わることとなり、欧米人と付き合うようになりました。暗算は外国人にとっては一種のマジックであると思っているようでした。会議後のディナーの席で、会議中に暗算をやりつつ数字を挙げて発言する私の言動を見ていた同僚は、数字(概算結果)がスラスラ出てきたのが不思議でならなかったようです。余興代わりに2桁かける2桁の掛け算や3桁くらいの足し算を、暗算で目の前でやってみせると、どんなアルゴリズムでどんな操作を頭の中でやっているのか結構しつこく質問されたりしました。おかげでずいぶん一目置かれるようにもなりました。IQが素晴らしく高い人間と誤解されることもありました。英語が苦手だった私は、そんな形で国際宇宙ステーションの仲間たちの中に入っていきました。その時の仲間たちが、今、私の国際的な活動を助けてくれています。
 正直なところ私のそろばん術は二流でした。ただ一流の選手と一緒に練習をしたり生活したりする場にいることができました。そして素晴らしい先生と友人に恵まれていました。人生不思議なものです。小学4年生からせいぜい4、5年間必死に練習したあの時間が、こんなに私の人生に影響を与えるとは、おそらく先生も友達も想像できなかったでしょう。
そろばん万歳!

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