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YELL  VOL.18 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ from 須藤憲一 

YELL  VOL.18
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 須藤憲一

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<略歴>※全珠連会報第180号(2019.11)に掲載時点
 昭和48年9月26日生まれ。現在45歳。新潟で28代続く浄土真宗大谷派の家に生まれ、父の仕事で20数カ国で育つ。
 東京大学大学院博士課程修了(人文社会研究科、宗教学宗教学史専攻)他にオーストラリア、ミャンマーなどで学位を取得。
 ミャンマーで研究後、日本に帰国。その後、子供たちにさまざまな習い事をさせ、そのなかでも長女の弥勒はジュニアゴルフ界でさまざまな記録を樹立。
 現在、茨城のゴルフ5サニーフィールドに勤務しながら、娘の指導にあたっている。


◆「娘さんの成功した秘訣はなんでしたか?」と聞かれたら胸を張って答えたい。
「そろばんこそが、娘を伝説のプロゴルファーにした最大の要因です!」と。

※本文より抜粋

 我が娘、須藤弥勒が「天才ゴルフ少女」として取りあげられてからだいぶ時が過ぎた。娘は5歳のときにIMGA世界ジュニア選手権で50年間破られていなかった記録を破り、史上最年少のチャンピオンとなり脚光を浴びた。連日メディアが家に押し寄せ、お茶の間を賑わしていた時期が長らく続いたので覚えている方もいらっしゃると思う。翌年、娘は再びアメリカの同選手権で優勝し、史上最年少連覇という快挙を成し遂げた。
 
 なぜ、たかが幼稚園児、小学校1年生のゴルフ大会でこれほど騒がれたかと不思議に思われる方もいると思うので、少し説明させていただこう。ゴルフの世界ジュニア選手権は、毎年アメリカのカリフォルニア州サンディエゴで開催され、世界52力国、米国本士の48州から予選を勝ち抜いた1,500人のジュニアゴルファーが集まり世界一を競う、文字通り世界のナンバーワンジュニアゴルファーを決める大会である。各国のジュニアゴルファーたちが、6歳以下から17歳までの年代別にわかれて真の世界チャンピオンが誰かを決める52年の歴史を持つ、ジュニアゴルフ界最高峰の大会である。少し鎛をつけるために過去の優勝者たちを記載すると、伝説的なゴルファー タイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン、アーニー・エルス、女子でいうならロレーナー・オチョア、その後、プロの世界を席巻していく名プレイヤーたちが、子供の頃にこのタイトルを獲得している。ちなみに日本からは池田勇太や畑岡奈紗などがワールドタイトルを獲得しているものの、宮里藍や石川遼など名だたるプレイヤーは日本予選は突破してはいるが、世界では優勝していない。あの、タイガーですら初めて優勝したのが8歳のときだったのだから、娘の5歳での優勝がどれほどの快挙だったか、説明するまでもないと思う。とにかく、ジユニアゴルフ界では凄いことを成し遂げたのだ。(笑)

 さて、娘、弥勒のことに話を戻すが、弥勒は 1歳半のときにゴルフを始めた。正確にいうと兄、桃太郎の練習を横から見ていた際に、サボリ癖のあるお兄ちゃんが「トイレにさぼりに行った」際、暇を持て余していた私が、弥勒に「やってみるか」というなんの深い考えもないなか、オモチャのクラブを振らせてみたのがきっかけだった。

 親バカではなく1球目から凄かった。これは多分下の子の特徴というか才能なのだろうが、上の子の観察で得た学習能力というか、まあとにかくお兄ちゃんが日頃からゴルフクラブを振るときに私からいわれていた注意点をしっかりと把握していた。びっくりすることに空振りすることもなく、「パン、パン」といい音を鳴らしながら 1球、1球を黙々と脇目も振らず打っていった。

 お兄ちゃんをいかに打たすかで苦労していた私は、弥勒のゴルフクラブを振る姿を見て驚嘆した。生まれ持った才能というものが、どのようなものかを実感した初めての瞬間である。そこから、すぐに妻を呼び、トントン拍子に話しが進み弥勒の本格的なゴルフ練習が始まったのだが、これがどうそろばんに関係しているか、ここまで読んで疑問に思った方も多いと思う。

 実は、弥勒のゴルフの成長と成功にあたって、人にはいえない「成功への秘訣」というものが何点かある。いわば門外不出の虎の巻の練習の仕方だったり、道具の選択だったり、食べ物だったり・・・逆にいえば、メディアで出た我が家の情報などは誰が真似をしても構わない、たわいもないものだと考えてよい。

 さて、その「門外不出の成功の秘訣のーつ」に“そろばん”がある。この原稿の依頼を全国珠算教育連盟からいただいたときに、妻がそろばんの重要性を説いてしまうので、断った方がよいと言ったほど、うちにとってはこれがゴルフの成功とどう結びつくか、本来なら触れたくも解説もしたくないのだが、うちの3人の愚子が言葉で言い表せないほどお世話になっている群馬県支部長であり、師匠である吉沢先生のお願いを無碍にお断りすることもできなく(笑)、どうせ書くならトコトン説明してしまえと、今回の執筆に至った。

 弥勒は3人兄弟の真ん中に生まれた。上から兄、本人、弟の構成で結構なんでもこなせるタイプだ。そろばんをはじめるきっかけは兄・・・の影響というよりは妻の影響が大きかったと思う。実は家内も私も自分たちの幼い頃、習い事としてそろばんをやっている。私などは本当に「ただ通うだけ」の月謝納めのような生徒だったが、それでも九九ができるようになったのはそろばんのお陰だったと自負している。家内はもっと本格的で幼稚園から中学校にあがるまで毎日そろばん教室に通い一応有段者である。(らしいではなく、本物の有段者であり、何故そうかと断言できるかというと、子供たちが始めて2年ぐらい経ったとき、少し進歩が遅れ、刺激を与えるために妻も子供たちに混じり同じ教室の同じ時間帯に自らも通い、弐段を取得したからである)

 その家内が子供の頃、出ていた競技会でいつも鉢巻きをして他のそろばん教室を圧倒していたのが、現在子供たちが毎日通う「あけぼの珠算学校」である。幼い頃の家内は、ずっと「あけぼの」勢に憧れをもっていて、自分が母親となり、子供たちが習い事をできる年齢になったら、絶対にそろばんに通わすと子供ながら自らに誓ったらしい。そこで私の研究が一段落して家族で日本に帰国した際に(ずっと研究でミャンマーにいっていたので)いの一番で、子供たちに(現在8歳である長男はそのときまだ3歳になったばかりだった)そろばん教室に通わせたいと申し出てきた。私はまだ早いと反対したが、妻の剣幕に押され、反駁(はんばく)諦め加減で承諾したが、結果これが子供たちの人生を大きく好転させた。本当に今、考えてみるとあれは人生の大きな節目であり、ひょっとすると成功をするかしないかの分岐点のーつだつたとも大袈裟ではなくいえるのかもしれない。

 というのも、そろばん教室に通わせて、そのうえで親が真剣に家で復習なり勉強させることにより、子供たちにそろばんならではの「秘密兵器」を伝授した。ただ、そろばん教室に行っているだけでは身につかないが、しっかりと親の監視のもと超真剣にそろばんに取り組んだ場合、他の競技や習い事では身につかない「絶対的な集中力」が身につく。

 この点を少し補足したい。まず、このことに触れる前にただの厚顔無恥の人間が戯言をいっていると思われないように、私のことを少しだけ書かせていただきたい。自分のことを宣伝しなければならないので大した人間ではないが、一応東京大学大学院にて博士課程を修了した。これが、どのくらいの意味を持つのか、自分でもよくわからないが、「一応」学歴社会の日本では何かを発言するときに、ささやかな気に留めていただく、塵のような鎛にはなるだろう。まあ、私のことはどうでもよい、集中力のことに話を戻そう。

 物事を行う際、集中力が大切だとよくいわれるが、この世間一般でいわれる「集中力」にもいろいろな種類のものがある。私の経験上、長時間続く持久的な集中力。やや、やんわりしているが、ことを運ぶには不可欠だが、常にスコープのように研ぎ澄ませたようなものとは違う、例えば車の運転に使うような集中力はこの類のものだ。中期的なもの、横にいくようなもの、斜めにいくような集中力などさまざまなタイプがあるが、そろばんは短期的な「じょうごのような、水を一点に流すような集中力」を作るのに最適だ。これがどのようなものか、実際にそろばんに本格的に触れたか、携わった人しかわからないと思うが(故にこの投稿を読まれている方々の殆どの方が私が今何を書こうとしているか理解していただけることを信じている)要は簡単にいうと短から中期に入る手前の集中力を人間の中で構築していくためには、これ以上ないほどの素晴らしい習い事なのだ。

 例えば、読上算などをみればよくわかる。読上算の場合、聞き手(計算する方)は絶対に聞き漏らさないように全身の神経を研ぎ澄ませ、なおかつ他の人が横で動いていてもそれに囚われることなく、自らの頭、指と読み手の声だけの世界を作りあげる。読み上げている何十秒の間で一瞬たりとも、その神経(絶対的集中力)を解放することはない・・・なぜなら、それをやってしまった途端に問題にはついていけなくなっているからだ。桁が大きくなっていけば、アイドリング状態の集中力では読み手には絶対についていけなくなる。故に知らず、知らずとそろばんを真剣にやる子供たちは、他の習い事で身につかないような一点性(針に糸を通すような)集中力を身につけることができる。

 これが、子供たちの全ての他の習い事、そして学業にも役にたった。よく、親が「そろばんをやったお陰で学校の算数ができるようになった」というが、これは私からみたらそろばんの副作用であって1番大切な本質のよい部分ではない。基礎とはいえ、現在の社会の数学はかけ算や引き算、わり算、足し算ができたところで満点が取れるほど簡単なものではない。この「学校の算数ができるようになった」だけでは、親たちにとってそろばんは小学校高学年で「お役目御免」の習い事でしかないだろう。

 ただ、そろばんの本質の効能と素晴らしさを知った人間は、そろばんはただ玉を弾き、算数の答えを導き出す道具ではないことを知っているはずだ。(計算だけなら計算機や計算機検定を取った方がよいかもしれないし、もっというならばパソコンに計算させた方が間違えなく効率がよい) 

 違うのだ。弥勒のゴルフ、特にプロをも凌くこともあるパターなどは、ほぼ全て「そろばんの集中力」からきている。グリーンを読む計算や、スコアの瞬時の駆け引きはもちろんのことだが、瞬時に自らのZONEに入れる高い一点性の集中力は間違いなく「そろばん」からきている。

 世界ジュニア選手権でも最終日最終組、アメリ力人の選手のお母さんがそのキャディーを務めていたのだが、弥勒がパターを打つ瞬間、傘をパッと広げたり、クラブを倒したり、見ているこちらの方が首根っこを掴んでやろうかと思った。しかし、当の本人は何事もなかったように「淡々」とパターを何食わぬ顔で決め、私が何を怒っているのかわからないようであった。

 そのとき、娘を出したそろばんの競技会のことを思い出した。 3歳のときから群馬県の市や県の大会に出場し、集中力の「場馴れ」をしている娘にとって自分の集中世界は多少のことでは崩れないほど確立されたことを・・・。そしてこれこそ、まさにゴルフで如何なく実力を発揮できた秘訣であることを。

 現在、年齢的にもだいぶ大きくなってきて、コルフの練習も今や10時間以上になった。学校にいく時間も減った。習い事もだいぶ少なくなり、犠牲になるものも多くなったが、娘はそろばんだけは続けている。本人の意思でだ。子供ながらにこれこそが、自分の成功の秘訣であるということがわかっているように。

 今後、娘が皆が期待しているような歴史に名を残す選手になったときに、もし記者などに「娘さんの成功した秘訣はなんでしたか?」と聞かれたら胸を張って答えたい。

 「そろばんこそが、娘を伝説のプロゴルファーにした最大の要因です!」と。