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支部創立60周年記念式典(道央) 

支部創立60周年記念式典(道央)

 8月26日、札幌市南区「定山渓温泉花もみじ4F翔雲の間」において道央支部創立60周年を祝う記念式典・祝賀会を挙行し、市内はもとより道内外各地からも多数の参加をいただき盛大に開催されました。

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 台風19号と追随した20号の影響を心配しながらも、なんとか持ち直してくれたことに胸を撫で下ろし無事開会。

 記念式典では斎藤徹支部長の式辞のあと、私(下佐)が映像も入れながら道央支部60年の歩みを読み上げ、次にスケジュールを変更しご来道いただいた平上一孝理事長からお祝いのことばを頂戴いたしました。

 続く表彰では、加藤孝幸前支部長に感謝状、また永年在籍60年(5名)から10年刻みに該当会員に、さらに長年にわたり支部に功労があった会員5名に特別功労表彰が贈られました。

 記念写真撮影のあと祝賀会となり、北川義夫道南支部長の乾杯の後、各テーブルでは懐かしい話に花が咲き、畑山敏光本部参与の万歳三唱(…の予定が1本締め)で和やかに終了となりました。

YELL VOL.4 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.4
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 梅村 敏明(天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)執事・妙厳院住職)

三井寺 写真
<略歴>※全珠連会報第166号(2015.3)に掲載時点
昭和26年滋賀県大津市生まれ
龍谷大学文学部史学科卒業
現在、天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)執事・妙厳院住職


縁を感じて

 最初に告白しておきます。私にはそろばん教室に通った経験はありません。そろばんだけではなく、他の一切の習い事もありません。私は兄弟3人の末っ子として生まれ、父親は地方公務員でしたので、経済的にも余裕がなかったのでしょう。とにかくやんちゃで、2つ上の兄がべそをかいて帰ってくると、仕返しとばかりに家を飛び出して行くような小学校時代でした。
 学校の授業の一環としてそろばんがありましたが、授業中に1から9までを算盤に置いて、同じことを9回繰り返すと「1111111101」になる遊びを先生に見つからないようにやっていたことを思い出します。
 中学では野球部に籍を置きました。非常に厳しい監督さんでした。現在では考えられないことですが、手は飛んでくる、バットは飛んでくる、真夏の練習でも水は一滴も飲めない、監督が気に入らなければ「よし!」の号令がかかるまでグラウンドを何周も走らされる毎日でした。しかし、そんな辛い練習をみんなで乗り越えてきたからこそ、チームには結束もあったし、友情も生まれたように思います。50年近く経った今でもそのときのメンバーとは年に数回会って楽しい時間を過ごしています。
 その厳しい監督のあだ名を「モグラ」というのですが、その来歴はどの先輩に聞いても知らないらしく、酒席の場ではいつも話題に上るのですが、最後には「やっぱりモグラに教えてもらってよかった」に話は落ち着き、お開きになるのです。私が大学生のときに監督は海外で不慮の事故に遭われ、亡くなられたそうです。海外にも野球指導で行かれていたということを後で聞かされました。とにかく学生野球界では有名な存在でした。尊敬する大先輩でもありました。
 高校でも硬式野球をやりましたが、先輩と折りが合わず中途退部しました。2年生の夏休みに奈良の法隆寺に友達と行ったとき、夢違い観音像を見て感動し、売店で売っていた観音像の頭部のレプリカを買って、それを版画にして翌年の年賀状に刷り込んだことがありました。それ以来、仏教に興味を抱くようになり、本を読んだり、休みにはお寺に行ったりと、以前とはずいぶん違う時間を過ごしたように思います。
 大学では仏教史学(仏教彫刻)を専攻しました。将来は博物館へとの希望もあって、学芸員の資格も取得しましたが、夢は叶いませんでした。卒業後は市役所の嘱託として文化財の仕事をしました。その最初の仕事が、文化庁による「重要社寺集中調査」の補助員として三井寺の文化財調査でした。
 昭和50年の夏でした。文化庁美術工芸課の彫刻、絵画、工芸、書籍典籍担当の専門技官による三井寺の文化財悉皆調査です。私は書籍典籍担当技官の調査補助員となりました。文字は草書体や崩し字なので、何と書かれているのか私にはさっぱり解読できない文書をいとも簡単に読み下すのを目の当たりにし、すごい人がいるものだと唯々感心するばかりでした。
 当時は開発事業が盛んで、開発に伴う発掘調査が全国的に行われていました。大津市でも宅地造成に伴い、大津宮関連遺跡調査に携わったり、古墳の発掘調査を行ったりと、考古学は素人の私も人手不足というので駆り出される日々でした。
 文化財に関われている毎日を楽しんでおりましたが、所詮嘱託の身。文化財専門職員には定員があり、今後正職員になれる見通しもつかないのを見かねた課長から、京都に仏教美術を専門に出版している会社があるが、梅村君どうかと話がありました。文化財関係の仕事を離れることには寂しさがありましたが、結婚間もない私は、人生の先輩である課長の勧めに従って出版社にお世話になることを決断しました。嘱託として4年、文化財の仕事をしました。
 京都の仏教美術専門出版社でのサラリーマン生活が始まりました。編集者数人の小さな会社でした。その会社の社長は、三井寺住職が高校の教師をしていた時の教え子だったのです。そんな縁で会社は三井寺が発行している「季刊誌三井寺」の編集を請け負っていました。会社が京都市にあって、私の自宅が大津市にあるものですから、季刊誌の原稿受け取りや、校正紙の届けなどでよく三井寺に立ち寄ることがありました。住職にも可愛がられて、夕食まで戴いたことも何度かありました。
 しかし、入社後3年を過ぎたとき会社が倒産しました。住職に今までのお礼と経緯をお話しするためご挨拶に伺うと、「これからどうするのや。うちに来て季刊誌の編集と寺の文化財のことをやらんか」と言っていただき、三井寺に奉職することになりました。
 考えてみると、市役所の嘱託員として初めての仕事が三井寺文化財調査であり、会社員としても「季刊誌三井寺」を通して関わりがあって、三井寺との縁を感じずにはおられません。
 三井寺に奉職して7年、住職から突然「お前も大峰(修験行場)に行って来い。得度してやるから、お坊さんとして修行して来い」と言われました。三井寺では毎年5月、大峰奥駈修行があり、山伏姿で山に分け入ってただひたすら歩き、自然と一体となることにより、霊験を戴くとともに、自然を崇敬し、自己研鑽をするのです。
 「こいつなら坊さんとしてやっていけるだろう」と7年間見ておられたのでしょう。以来27年、三井寺の文化財に深く関わってきました。国宝や重要文化財の修理、大きな展覧会も経験しました。学生時代には仏像は研究対象でした。しかし、お寺に来てからは仏像は礼拝・信仰の対象であるということを改めて肌身に感じました。それは街角の小さな祠や山間のお堂にひっそりと祀られている仏像であろうが、国宝や重要文化財に指定されている仏像であろうが信仰にはまったく差がないことを、僧侶となって知らされたことでもありました。
 私がおります三井寺観音堂は西国第14番札所です。連日札所巡りの善男善女のお詣りが絶えません。その観音堂境内から大津の街並みや琵琶湖が一望できる高台に「大津そろばん顕彰碑」があります。昭和50年12月、全国珠算教育連盟によって建立されたものです。25日には関係者出席のもと除幕式が執り行われました。
 三井寺近在の東海道筋に住む片岡庄兵衛は慶長17年(1612年)、中国式そろばんを参考に研究を重ねた末、日本式そろばんの基礎を打ち立てました。以来 300年の間、大津そろばんは全国に広まり、隆盛を極めました。
 毎年4月29日、日頃お世話になっているそろばんに感謝するとともに、さらなる技術の向上を願って「そろばん祭り」が全国珠算教育連盟滋賀県支部主催により顕彰碑の前で行われます。そろばん教室に通う子供たちによる競技会も同時に開催されます。
 また、観音堂に文政11年(1828年)に奉納された関流の算額があることから、昨年同志社中学より算額が奉納されました。近年、中学校において数学教育が重視されているようです。自分が作った数学問題が 200年、 300年先まで堂内に掲げられるなんて、なんと夢のあることでしょうか。
 皆さんも難問・奇問を後世の人たちに出題してみてはどうでしょう。

YELL VOL.3 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.3
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 親泊 ひより(東北大学医学部医学科)

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<略歴>※全珠連会報第165号(2014.11)に掲載時点
沖縄県浦添市生まれ
平成21年東北大学医学部医学科入学
現在同大学6年生
全日本通信珠算競技大会4年生以下の部で個人総合競技3連覇


 私は現在、東北大学の医学部に通う大学6年生です。今回、数々の素晴らしいOBの方々に混じり、恐れ多いのですがこの「YELL」を書かせて頂くことになりました。そろばんを卒業した今でもこのようにそろばんとの縁は続いており、とても幸せなことだと思っています。

 まず、そろばんとのなれそめからお話しようと思います。私のそろばんとの出会いは少し変わっていたかもしれません。私は沖縄県浦添市で生まれ、幼稚園生のときに、そろばん教室に併設されていた体操教室に通うために宮城珠算学校を訪れたことから始まりました。体操教室に申し込む時にそろばん教室にジュニアクラスがあることを知り、なんとなくそろばん教室にも入ることになったと記憶しています。

 私がそろばんを頑張るきっかけになったのは、入塾してしばらくして開催された「ちびっこ大会」でした。これは県内の幼稚園生以下の大会で、参加者全員がメダルやお菓子を貰えるのですが、そのときもらったメダルが子供心にとても大きくキラキラ輝いていて、もっと色々なメダルがほしくなり、そこからそろばんへの意気込みが変わりました。
 家でも数時間練習するようになり、洗濯をしている母の横でかけ算九九を唱えたりしていました。練習すればする程どんどんのめり込み、取り憑かれたように毎日毎日そろばんをしていました。今思い返すと、生まれて初めて頭の中で何かが動いている感覚が新鮮で、もっともっと動かしたい、という衝動に駆られていたのだと思います。

 宮城清次郎先生、宮城忍人先生はじめ、多くのスタッフの方々のご厚意でジュニアクラス以外の教室にも参加させてもらい、私は順調に級を卒業し、段を取得することができました。選手団にも入れてもらうことになりました。当時は私より年上が大多数で、最初は追うものとして練習に励んでいました。私は当時、とても負けん気が強く、練習で点数が負けるととても悔しくて、トイレを我慢して練習する程でした。周りに年上が多かったことで、あんな風に速く計算したい、上の人に追いつきたいという気持ちが掻き立てられましたし、明確な目標が目の前にあり、恵まれた環境だったと思います。大会前には宮城清次郎先生の家で10数人での合宿があり、朝から夜までそろばんをして、みんなでご飯を食べ、就寝前にはトランプをしたりと、とても濃厚で楽しいそろばん生活を送っていました。幼少期に夢中になれるものに出会えたことはとても幸せだったと感じています。
 数多くの大会に出場させてもらいましたが、印象深いのは全日本通信珠算競技大会の4年生以下の部で3年間1位を獲れたことです。練習したのに本番で手が動かなかった大会、大事なところでミスしてしまった大会など上手くいかなかったことは多々ありましたが、3年間この大会での1位を守れたことは、今でも誇りに思っています。特に最後の年は満点で1位をとり、感無量でした。
 練習した分、緊張し、手も震えましたが、その緊張に勝って最高の結果を出せた経験は私の現在の精神力の根幹になっています。

 私は中学生で卒業しましたが、5歳からのそろばん生活で得たものは多くあります。まず、宮城清次郎先生が私に教えてくれた「継続は力なり」という言葉です。本当にそのとおりだと思います。毎日練習し、何故今日はうまくいかなかったのか、次はああしてみようと日々考えていけば、どんな困難なことも大抵どうにかなると私は考えられるようになりました。
 また、一度本気でそろばんを突き詰めた経験があるからこそ、勉学やその他の場面でも、今現在私の努力はまだ足りない、もっと行けるはずだと踏ん張りが利くようになっています。ただ正直なところ、もっとそろばんを続けていれば「継続は力なり」の別の意味だったり、違う世界が見えていたのだろうかと後悔することもあります。当時一緒に練習していた仲間が現在も大会に出場し輝いている姿をみると、10年以上続けるには並大抵の努力では無理でしょうし、今どのような世界を見ているのだろうと羨ましくなることもあります。   
 もしこの文章を読んでいる学習者の方がいれば、もうそろばんはいいかなと思ったときに、もう1回だけ一生懸命そろばんを続けてみてから進路を決めてほしいと勝手ながら思っています。

 そして最後に、高校生、大学生初期の頃は、そろばんを頑張っていたことからのメリットは集中力がついたこと以外は、正直あまり感じていませんでした。しかし、大学5年生から病院実習が始まり多くの先生と会うようになり、尊敬できる先生やバイタリティ溢れる先生は、今まで何かしら頂点を極めたり成し遂げた経験を持ち、自分の中に確固たる自信と精神力を持っている先生が多いことに気づきました。これ以上できないくらい努力し、道を極めた人はかっこいいです。これは病院だけではなく、社会でも同じだろうと思います。「何か本気で頑張ったことある?」と聞かれた時に私は自信を持って「そろばんで1位をとったことがあります」と答えることができ、一目おいてもらえることもあります。今になって、そろばんをやっていて良かったと心底思います。
 やる気が出ないとき、疲れて頑張れなくなったときには、沖縄からここ仙台に持ってきたそろばんケースをひらいて当時を思いだし、自分を鼓舞させています。

 ある先生が言っていました。「自分は頑張っているという人は多いけれど、本当に何かでトップを目指した人にしか一流になるための本当の努力量はわからない。だから、ただの頑張っているという言葉には重みがない」。
 その言葉を聞いてから、私はそろばんへの感謝の思いが一層強くなりました。トップを目指すという経験ができたのは自信となり、大きな糧となっています。そろばんを卒業した今でも心に誇れるものを私に与えてくれたそろばん、そして先生方には本当に感謝しています。
 そしてそう思うようになった今、この応援メッセージを書く機会を頂きとても光栄でした。

 そろばんを学習しているみなさん、ぜひ上を目指して頑張ってください。

YELL VOL.2 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.2
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 樋口 清司(JAXA副理事長)

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<略歴>※全珠連会報第164号(2014.7)に掲載時点
三重県四日市市生まれ
マサチューセッツ工科大学大学院(MIT)航空宇宙学科修了
昭和44年より宇宙開発事業団(現JAXA)勤務
企画部長、理事を経て平成22年副理事長に就任


珠算と私

 私は宇宙開発に興味を持ち、ふとしたことからそれが一生の仕事になった人間です。この人生に、若いころ受けた珠算の修練が大きく影響していることを折に触れ感じています。珠算は私にとって少年期と青年期初期における「修業の場」、「人間形成の場」、「人との出会いや交流の場」でした。小学4年生で始め、中学3年生まで競技会に出ていました。高校生、大学生の時は書生のような形で珠算塾を手伝っておりました。
 お世話になった塾は三重県四日市市富田一色の旭勢速算学会、先生は長尾計人先生でした。後年、先生は長尾珠算学園を創立され、私もそちらに移りました。日曜日を除く毎日1時間、先生の指示とそろばんの玉をはじく音以外は聞こえてこない厳格な雰囲気での練習でした。習い事というより修練といった言葉のほうがふさわしいものでした。そんな雰囲気の中で、珠を動かすことに集中し一生懸命に練習したというか、練習に集中しなければ先生から厳しい叱声や愛のムチが飛んでくる雰囲気でした。結果として根気と集中力を養う訓練になったように思います。私はどちらかというと飽きっぽい性格ですが、宇宙開発の世界に入ってロケットの性能計算をコンピューターでやるようになり、その膨大なインプットデータを作成する作業やロケット打ち上げ前に試験検査データをひとつひとつ丁寧に確認する作業は、正確さと根気を必要とし、まさに珠算の練習で訓練した資質そのものでした。珠算は数字が一つ違っていても間違いです。宇宙の世界も一つの誤りが大きな失敗につながります。データを丹念に確認していく作業は集中力と根気の勝負です。
 小学6年生になり、一般の生徒から、競技会に参加できる可能性のある選手組に入れていただきました。私の珠算歴は小学4年生からです。正直なところ一流の選手になるには、始めた時期は遅すぎました。いつも補欠組で悔しい思いをしました。小学2、3年生で始めていた同級生や、私より若い選手にどうにも歯が立ちませんでした。中学生になって時々選手として団体戦に出場できるようになりましたが、いつも劣等感を心に抱いて練習していました。口幅ったいことですが、私は学業も運動もあまり劣等感を感じることなく小中学校を過ごしてきました。もし選手組に入り素晴らしい同級生の珠算術を目の当たりにしなければ、劣等感や負けん気を自覚することなく過ごしていたのではないかと思います。また、わがチームには団体や個人種目で日本一になったものが数人いるチームでした。したがって日本一になる術がどんなものか目の当たりにすることもできました。みんな毎日同じ学校で机を並べている友達です。むやみに恐れることもなく、一流のものを見る目や人と接する心の持ち方をこの時自然に習得したのではないかと思います。そして一流になるにはどんな練習をし、どんな気持ちで練習すべきか、特別練習を通じて学んだような気がします。先生の気迫に満ちた指導と、それに真剣勝負で応える友人たちを目の当たりにして、子供心にも精神力の重要さや気合を入れた時の人間としての迫力を肌で感じていました。後の人生観に大きな影響を与えたと思います。
 ひとつだけ忘れられない思い出話を紹介します。ある三重県大会でわがチームは団体で優勝できず2位でした。その反省会で先生は団体2位の表彰状と賞品を皆の前で破りごみ箱に捨てました。2位に甘んじていてはこの先進歩がない。なぜ1位になれなかったか一人一人に猛省を促され、2位でまずまずだったと思っている生徒の甘さを痛烈に批判されました。今だから思うのですが、先生自身も自分の甘さを乗り越えようとされていたのではないかと思うところがあります。
 そんな先生も我々が中学生になった時から完全に指導方法を変えられました。練習時間の指定もなく、自由練習と称していつでも好きな時に塾に行き、好きなだけ練習することを勧めました。競技会の1週間前から合同練習を行いましたが、基本的には生徒の自主的な行動を推奨されました。中学生になって部活があり小学生の時のように同じ時間に集まれない事情もありましたが、中学生としての自覚を促し、自己管理を前提に自立した人間になることを期待しての扱いだったと思います。小学生時代の徹底した指導から一転、生徒を信用し自立することを望んだ放任主義の指導法は、今から思い返しても見事なものでした。必然的に友達同士で練習方法や練習計画を相談し協力するようになりました。練習だけでなく、遊びも一緒で、どんどん友達として親しくなっていきました。この時の仲間はその後半世紀を超えて友人として、人生折に触れいろいろな形で付き合いを続けています。これは私にとって大変な財産です。数年前には彼らが中心になって小学校の同窓会をつくばで開催してくれました。私が宇宙航空研究開発機構(JAXA)に勤めている間に、皆で筑波宇宙センターを見学しようと企画してくれました。三重県四日市市から大型バスを貸し切って、8時間かけて50人近くが来てくれました。前の晩に筑波山神社前の旅館で一夜を共にし、翌日筑波宇宙センターを見学し、その後立食パーティーで旧交を温めました。皆にとって忘れられない時間となりました。
 宇宙の世界に入って、珠算は思わぬ形で私の人生を助けてくれました。大学を出たばかりで何もできない新人の私を、そろばんができると知った上司は結構重宝してくれました。エクセルのない時代、開法もできるそろばんの能力はかなり役立ちました。ロケットや衛星の重量は、設計上非常に重要な数値で、その管理と分析検討は設計の中核をなす仕事でした。
 30歳代の後半、1980年代に入ると国際宇宙ステーション計画に関わることとなり、欧米人と付き合うようになりました。暗算は外国人にとっては一種のマジックであると思っているようでした。会議後のディナーの席で、会議中に暗算をやりつつ数字を挙げて発言する私の言動を見ていた同僚は、数字(概算結果)がスラスラ出てきたのが不思議でならなかったようです。余興代わりに2桁かける2桁の掛け算や3桁くらいの足し算を、暗算で目の前でやってみせると、どんなアルゴリズムでどんな操作を頭の中でやっているのか結構しつこく質問されたりしました。おかげでずいぶん一目置かれるようにもなりました。IQが素晴らしく高い人間と誤解されることもありました。英語が苦手だった私は、そんな形で国際宇宙ステーションの仲間たちの中に入っていきました。その時の仲間たちが、今、私の国際的な活動を助けてくれています。
 正直なところ私のそろばん術は二流でした。ただ一流の選手と一緒に練習をしたり生活したりする場にいることができました。そして素晴らしい先生と友人に恵まれていました。人生不思議なものです。小学4年生からせいぜい4、5年間必死に練習したあの時間が、こんなに私の人生に影響を与えるとは、おそらく先生も友達も想像できなかったでしょう。
そろばん万歳!

「AERA with Kids」・「AERA dot.」にそろばん対談記事掲載 

「AERA with Kids」・「AERA dot.」にそろばん対談記事掲載

 本日発売の「AERA with Kids」(朝日新聞出版)に東大卒ママ 杉山奈津子氏と静岡県支部会員・広報委員の村上知子氏の対談が掲載され,一生使える“計算力”が養える!など4つの視点からそろばんの効用について話し合われています。
 また、同内容が「AERA dot.」に配信されています。


雑誌名 「AERA with Kids」
発売日 平成30年12月5日
発 行 朝日新聞出版

「AERA dot.はこちらから>>>」

YELL VOL.1 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.1
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 伊藤 昌也(三菱UFJ証券ホールディングス株式会社)

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<略歴>※全珠連会報第163号(2014.3)に掲載時点
昭和33年三重県四日市市生まれ
四日市高校・東京大学経済学部卒
東京銀行(現・三菱UFJ銀行)では市場部門を中心に16年間海外勤務
現在は三菱UFJ証券ホールディングス株式会社に勤務
中・高・大とテニス部に所属
東大では体育会庭球部主将を務める


 今回この原稿を書き始めるに当たって、平成25年度の全日本珠算選手権を記録したDVDをお送りいただいて拝見いたしました。私が出場していた頃と比べて、トップ選手の進化が格段に進んでいることは当然としても、私がかつて得意だった読上算は速過ぎて聞き取ることもできず、また読上暗算も16桁まで読まれていることなどに、ここまで来ているのかとあらためて感銘を受けた次第です。一方で、大会の運営や雰囲気自体には根本的な変化はなく、大会関係者の長年のご尽力に思いを馳せると共に、特にステージ上での同点決勝のシーンには、自らの選手当時の緊張感が甦るような既視感を覚えました。
 
 この大会に出場している選手たちは、世界的な標準から言えば間違いなく天才と言っても過言ではない計算能力を持った人たちばかりですが、DVDを観ながら、この天才たちはこれからどのような人生のコースを歩んでいくのだろうか、私が選手だった時に同じ会場で競い合っていた人たちはその後どうしただろうか、という思いが湧いてきました。この会報の読者には、かっての選手で現在は指導者・教育者の立場になっている方々も多いのではないかと思いますが、十代の頃に同じ目標を持っていた一人として、そろばんから始まった自らの人生経験を一度振り返ってみようと思います。

 私は昭和33年に三重県四日市市に生まれ、小学1年生から地元の富田珠算学園で故黒田隆次先生のご指導を受けました。その後競技会に出られるようになってからは毎日のように教室に通い、中学3年生の夏に札幌での選手権に出場のため初めて航空機に乗った記憶がありますから、高校入試の直前まで教室での練習が日々の生活基盤になっていたと思います。小学6年生の時、国民珠算競技大会で表彰してもらうために初めて新幹線に乗って東京に行けたことが本当に嬉しく、この時の事が将来は東京に出て活躍したいという気持ちの原動力になりました。その後は選手権と国民の全国大会に加え、三重県内や平塚・岐阜・高岡など各地での競技会に出場したり、京都の明徳商業高校(現・京都明徳高校)に練習に行ったりと、練習と競技会とに明け暮れましたが、成績が悪くて競技会で決勝に進めなかったときや、団体戦の選手に選ばれなかった時などは、会場の隅でひとり落ち込むような辛いことも多かったような気がします。高校に入って富田珠算はいわば卒業の形となったことで徐々に練習する場もなくなり、高校2年生の春の国民が最後の競技会出場となりました。
 富田珠算では黒田先生のユニークなアイデアがいっぱい詰まった練習があって、「源平」あるいは「紅白」という名称で、生徒が二つのチームに分かれ、全員の前で1対1の勝負をする機会がありました。私はこの練習(勝負)が大好きで、自分が問題を選ぶ順番の時は、普通の問題では勝てない相手なら、開平・開立暗算やポンドの諸等数計算などの変化球をぶっけるなどして挑戦した覚えがあります。当時は1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでしたから、この諸等数の乗除算を選べば相手に一瞬の躊躇があるので必勝でした。その後ほどなく英国の通貨も十進法になり、1ポンド=100ペンスとなりましたが、将来10年以上に渡って英国に居住することになるとは当時は知るはずもありませんでした。
 高校を卒業してからは、1年間の予備校通いの後、東京大学経済学部に進学しました。体育会庭球部中心の大学生生活ではありましたが、ゼミでは国際金融を専攻し、卒業とともに外国為替専門銀行の東京銀行に入行しました。金融機関では次々に多くの種類の業務を担当するのですが、もともと希望していた為替トレーダーとしてロンドン支店へ派遣されたのが海外勤務の始まりで、結局ロンドンに三度、香港に二度、通算で16年間の海外勤務をすることとなりました。その間、金融機関はどこも合併の繰り返しの歴史となり、現在は三菱UFJフィナンシャルグループの証券持株会社に勤務しています。
 さて、学校や社会でそろばんがどのように役に立つのかという観点から私なりの考えを述べてみます。
 第一に、そろばんは自らの能力を総合的に高めるためには最も優れた手段であると言う事ができますが、同時に逆説的な意味で、トップ選手になっても将来をそろばんに縛られないため安心して練習にのめり込んで行けるということも言えると思います。この選手権大会に出場してくるような選手たちは、小さい頃から高度で集中力の高い練習を長期間継続してきた人たちばかりで、その意味で囲碁・将棋やピアノ・バイオリンなどの天才児たちと同様とも言えますが、そろばんにはこれより上位のステージがなく、プロ業界というものが存在しないため、将来の進路はそろばん競技を離れて自由に選択することができるという事が言えると思います。選手たち自身は、計算スピードが速くなる、暗算で浮かぶ桁数が増えていく、競技会で上位に入賞することなどに価値を見出しながらそろばん自体を好きになっていきますが、受験に直接つながらないそろばん教育に月謝を払う保護者の方たちは、そろばんが極めて有効な教育ツールであることを無意識に理解して承認を与えているのだと思います。そろばん教育がこのような高い水準にまで発展し、教育界で十分に認識されているのも、全国各地の指導者の方々の日々の活動の賜物以外何物でもないものと思います。
 第二に、そろばんができる能力は理数系分野において大きな成功の可能性に繋がっている事です。数学や物理学などの自然科学は世の中の事象から導かれる法則を論理的にじっくり突き詰めていく学問ですが、一方でそろばんの問題は整数・小数の四則演算の内側の世界に過ぎず、数学的な奥行はほとんどないのも事実です。大学の数学科の教授にも簡単な計算も苦手なことをことさらに強調するような人もいます。19世紀のドイツの偉大な数学者ガウスが、小学生の頃に1から100まで足し算をする問題で、あっという間に答えを出したガウスに対して、どうやったのかと先生が尋ねころ、1十100=101、2十99=101、……、50+51=101と101が50組できるから合計は5,050という答えを出しましたというエピソードは有名ですが、はたしてガウスがフラッシュ暗算で1から100まですぐ計算ができていたらもっと高い水準にまで数学が発展していたかもしれません。個人的には、数学の勉強において最も役に立ったのは開平が暗算でできたことで、ルートの中がどのくらいの数かがすぐに計算できたことはとても便利でした。逆に169が13の2乗になっていることを気付かないといけないような設問では、他の人たちはいったいどうやるのだろうと不思議に思っていました。私は文科系学部に進学しましたが、多くの数字を瞬間的に記憶に残し演算を行うことができるそろばん選手が理数系分野に適合性がないはずがなく、将来自然科学の分野に進む人が増えて、科学技術の先端に立ち、ノーベル賞や数学のフィールズ賞を狙うようなことが起こると良いと思います。
 第三に、実際のビジネスにおいては、金融機関にしても事業会社にしても、そろばんができても社員個人の業績に直接つながることはあまりないように思えますが、実は自らは気づかないところで相当ポイントを稼いでいるのです。30年を超える金融機関勤務期間のうち、大部分を為替資金市場や資本市場などの価格が頻繁に変化する商品を扱う部門で過ごしてきましたが、市場の参加者たちは意外に計算能力を持ち合わせていないものです。たとえば為替相場が大きく動いたときなど、ニューヨークの銀行のディーリングルームなどから中継されるニュースをご覧になることがあると思いますが、トレーダーたちは机の前に幾つものモニター画面を置いて明滅する数字やグラフを見ながら大きな資金を動かしている割には、せいぜい簡単な加減乗除の計算しかしていないものです。私が為替トレーディングを担当していたころは、日本円対米ドルのレートをドイツマルク対米ドルのレートを割って円対マルクのレートをすぐに計算しないといけないような局面も多かったのですが、235.75÷2.9565の最初の4桁を出すようなことも電卓のないところで出来たので、自分で秘かに得意がっていたようなこともありました。これほどではなくても、社内会議や顧客へのプレゼンテーションの際に、数字を足したり割ったりして答えを出しながら議論を進めていくことは当たり前のように起こるので、そろばん・暗算の能力の有効性は何ら減少することはないのです。

 また、いわゆるリーマン・ショックの引き金になり世界の金融機関の屋台骨を揺るがせたサブ・プライム・ローンを束ねた複雑な証券化商品は、格付け要因や支払い不能となる確率密度関数を何重にも積み重ねて作られた数学的に極めて難解な商品なのですが、少し間違うと級数的に数字が大きくなるレバレッジの高い(「挺子で何倍にも持ち上げる」という意味です)構造を持っているので、数字のセンスがない割には強欲だけが取り柄のウォール・ストリートの人間が取り扱うとあっという間に企業の破綻につながる所まで行ってしまうのです。財務省や日銀で財政・金利政策を扱っている担当者でも同じことで、法制面の制約や政府の政策を横目で見ながら数字をこね回す作業に膨大な時間を掛けていますが、彼らがそろばんで鍛えた数字のセンスを持ち合わせていたらどれだけ納税者のコストを減らせることでしょう。
 最後になりますが、そろばんの能力と同時に、現代の社会人として大切なものは、英語を読み・書き・話す能力や習慣だと思います。16年間も海外生活することが事前にわかっていたらもっと英語を勉強しておいたのにと思うことは何度もありましたし、英語で思った事が言えればもっと業績が上がるはずとどれだけ思ったかしれません。国を挙げて理数系の人材を育成しているインドでは、ヒンディー語をはじめとする多数のローカル言語とは別に、教育だけでなく政治・行政・ビジネスにおいて英語使用を徹底することで世界中に人材を送り込むことに成功しています。インド人がシリコンバレーで起業したり、欧米のグローバル企業のトップに就任することは何ら珍しい事ではありませんが、彼らの多くは英語と理数系科目の徹底的な勉強によって成功したと証言しています。インドに限らずどこの国でもエリート育成には似たようなシステムを用いています。
 一方で最近の日本から英米の大学・大学院への留学は必ずしもポピュラーではなく、これはひとつには派遣元の企業が業績不振で留学生を減らしてきたことも原因の一つではあるのですが、そもそも留学すること自体がキャリア上有利に働かず、また大学教育や仕事の上でも英語は使えないと逃げ回ることが可能で、一部の人だけができればなんとかなるという意識がまだ残っているものと思います。先進国でかつ大企業・中小企業を問わずこれだけグローバル経営を志向しているにもかかわらず、この状況は相当珍しいとも言えますが、優秀な日本人という思い込みだけでは最早やっていけないのは明らかで、事実、海外で企業を買収したり海外子会社を管理することになると、今ではあたりまえになったビデオ会議において英語で発言できない人は、いくら仕事ができても担当から外さざるを得ないと言う事になっています。また、海外のwebサイトに直接アクセスできる時代になったことで、海外に行く行かないは関係なく、英語を用いた地球的規模のコミュニケーションに参加できる権利を手に入れるためのパスポートとして、あるいは日常生活の楽しみを増やす手段としての英語に接する機会を増やすべきと思います。
 そろばんも英語もその意味で目的ではなく手段ですが、計算能力を身につけ、英語に自信がつけば、世界中どこへ飛び出しても恐れることはなく、どんな仕事についても成功間違いなしです。全国のそろばん選手、指導者の方々の今後のご発展と成功をお祈りしております。

スラム街でそろばん指導@フィリピン  

スラム街でそろばん指導@フィリピン 
大阪市立大学2年 外村一樹

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 2018年2月13日〜4月2日までの約6週間、フィリピンマニラにてそろばん指導などを企画しながら、現地での算数教育の向上に貢献することを目的に活動してきました。本記事では、活動報告をするかたちで、私の視点から、現地でのそろばん活動の結果と考察を述べさせていただきます。

Soroban is a Japanese traditional abacus which helps you in calculating. In Japan, it has affected on the education positively. According to some surveys, it is helpful for not only calculation,but also how deep you can think. When l went to the Philippines last September,1 wonder if Soroban can be useful for the children in the Philippines. And l thought if it is true with them, Soroban can make a difference on many children who need to study math. I met some students in Manila last visit in the Philippines. They like math and want to be able to good at it, but sometimes their accuracy of calculation was not good. That’s why l taught Soroban to the children and wrote this report.

活動場所の様子


マニラのスラム街
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 昨今、フィリピンを含む東南アジアは急激な経済成長を遂げています。しかし、ここマニラでは経済格差はますます広がっており、食や教育の面での格差は特に大きな社会問題になっているといえます。

 そして、今回はHAPPY LANDとよばれるマニラ沿岸部のスラム街でそろばん指導を実施しました。スラム地区で一人で活動することは危険なので、現地で給食活動や教育活動を行うNPO法人PROJECT PEARLSさんの活動に毎日同行しながら、企画・実施を行いました。

そろばんを初めてみる子供たち
 マニラでは、地域に関わらず“そろばん”を知っている人は少数でした。ましてや、そろばんを実際に使ったことのある人はいませんでした。ですから、スラム街から集まってくる子供たちも当然のことながらそろばんのことを知りません。子供たちの中には、そろばんが背中を掻くためのものだと思った子もいました。(僕も実際に掻いてもらいましたがなかなかよかったです 笑)何に使うかわからないものの子供たちは、そろばんに強い興味を示していました。大人のみなさんもそろばんには強い興味を示してくれていました。私にもそろばんの使い方を教えてほしいと頼まれて教えることもしましたが、子供たちよりも大人たちの方が早く諦めてしまう傾向にあると思いました。フィリピンでは、計算が苦手な方が日本よりも多いようでした。ある方によると、フィリピンでは計算の基礎を英語で教わるそうなのですが、その時点では英語が十分に理解できていないので、算数が苦手になってしまう子供たちが多いようです。そのまま大人になって算数に苦手意識を持つ人が多いようです。しかし、中には非常に熱心にそろばんの話を聞いてくれる方もいらっしゃいました。例えば、フラッシュ暗算に関心を持つ学校の先生に出会いました。フィリピン人はスマホゲームが好きなので(暇が嫌い)、フラッシュ暗算がみんなで楽しめるゲームになれば教育現場に持ち込めるとおっしゃていました。このように現地ではそろばんは珍しいもので、しかもフィリピンでは教育に対する関心が高まっているので、そろばんに対する関心も高いものであるように感じました。

そろばん指導結果

そろばん指導の成果
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 まずは、そろばんが計算をするための道具だということを十分に知らせることができたと思います。そろばんで計算をする前に、数の置き方をたくさん練習しました。自分の好きな数字をそろばんにおいて、なぜその数字が好きなのかを発表してもらいました.。発表するために立ちあがったときにそろばんの珠がリセットされてしまうという八プニングもありましたが、子供たちは笑顔を絶やさずにそろばんにチャレンジしていました。

 30分程、珠の置き方と読み方がわかることを目的にしたワークをした後、いよいよそろばんで計算をしてみました。子供たちに説明すると、わかったと言ってくれているのですが、実際にはみんな桁の繰り上がりに苦戦していました。ここで大活躍したのが、㈱ダイイチの宮永会長からご提供いただいたボイスそろばんでした。大きな珠と数字が表示される仕組みのおかげで子供たちも理解しやすかったようです。最後には、「自分の誕生月と誕生日の日付を足してみてください。(誕生日が12月6日ならば12+6を計算して答えは18になります)」という計算に挑戦してみました。できた子には、前に出てきて発表してもらいました。目標にしていた繰り上がりの計算ができる子供たちが半分くらいになったと思います。

 計算ができるようになる以外でうれしかった成果としては、子供たちの中でそろばんを教えあうことができたことです。(ときには大人も子供たちに教えてもらっていました 笑)

そろばん指導の改善

 実は、今まで紹介させていただいた内容は最後のそろばん指導の様子で、初回の授業はお世辞にも上手くいったとはいえないものでした。ここからは、指導の内容をどう改善したのか、またそこから得た教訓をまとめてみました。

人に披露する機会をつくる
 みんなの前で発表する機会を設けると、真剣度合いが変わってきました。ーつの答えのない課題をみんなで披露できるようにすることは、飽きさせない工夫になったと思いますし、なによりこれで本当にあっているのかな?という不安を消して自信を持ってもらうことに繋がっていったと思います。(日本では、検定試験などがそろばんに真剣に向かわせる機能を果たしていますが、今回は実施できなかったのでこの方法を試してみました)

一人じゃ何もできない
 当たり前のことなのかもしれませんが、そろばん指導をしていく中で、強くそう感じました。一つ例をあげると、私は英語でそろばんを教えていたのですが、どうやら現地の子供たちは英語があまりわからないようでした。それから、そのことを現地のNPOの方に相談して、タガログ語の通訳をしてもらえるようにお願いしました。快く現地の方にも協力していただいて、指導の進み方が誰からみても明らかによくなりました。自分が協力して欲しいことを正直に、周りの方に伝えることが改善に繋がりました。一人で取り組むよりも、みんなで取り組む方がよい結果を生むという経験になりました。そろばん指導をしていく中で、現地の子供たちだけではなく現地で生活する大人の方やNPOの職員といったたくさんの方と関わる機会が生まれ、僕自身がたくさんのことを教えてもらうことになりました。

そろばん指導の課題
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がんばりを評価できなかったこと
 がんばった子供たちを表彰するなどして、そろばんが得意な子供たちのやる気を加速させるような仕組みが準備できなかったことです。プチそろばん大会を開いてみたりしてもよかったのかなぁと思っています。

教材を準備できなかったこと

 繰り返し練習できることの重要性に渡航期間の後半で気づいたので、教材を作ることが間に合いませんでした。(教材の必要性は恩師に言われていたことでした。反省します)

継続して長期間そろばんに取り組んでもらうこと
 算数教育への貢献のためには、一番重要なことであると思うのですが、このことが一番難しいことだとも感じました。いかに、そろばんが将来の自分にとって役に立つかという視点やそろばん自体がみんなと頭を使って速さを競えるものだという視点など、いろんな視点でそろばんの楽しさを伝えることが必要だと思い知りました。
 次回のそろばん指導ではこの課題の解決にも取り組めるようなかたちに工夫してみたいと思っています。

その他のそろばん活動
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 スラム街でのそろばん指導以外に、特別支援学校でのそろばんデモンストレーションや、現地大学生にそろばんを披露してディスカッションを行ったりしました。

“そろばん”と私
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 正直、私はそこまで熱心にそろばんに取り組んだことのない人だ。小学生の習い事のーつとしてそろばん塾に通い始め、段位を取って小学校卒業とともにそろばん塾には通わなくなった。

 しかし、あのとき一生懸命に練習した”そろばん‘は、思わぬところで私を助けてくれた。受験勉強で、レジの計算で、そして自分に自信がなくなったときに。

 大学1年生の夏に私はフィリピンに行った。そして、そこで出会ったのは、どんな環境であっても懸命に生活をする人たちだった。その人たちの中に、好きな教科は数学だけれども簡単な計算が苦手なんだという子供がたくさんいた。そこで、私が真っ先に思い浮かんだのは自分を何度も助けてくれた”そろばん”だった。

 帰国してから、その思いを至るところで話し、たくさんの人に助けていただきながら、今回のそろばん指導を実現することができた。

 そろばんと私との不思議な縁は、たくさんのことを教えてくれたし、与えてくれたと思う。そろばんがなければ、出会うことのなかった人たちがたくさんいると思うと不思議な気持ちになる。

 フィリピンでの6週間の指導を終えて、「このそろばんというものが、どれだけ素晴らしいかを誰かに教えたくなる」不思議な力があると思うようになった。

 あんなに計算が得意になっていくという「驚き」が、多くの人をそろばんに惹きつけ、私のように消極的な人間をときに積極的に変えてくれる。本当に、そろばんをしていてよかったと思う。

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