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珠算指導者研修会(宮崎県) 演題:小学校におけるボランティア授業/高齢者ボランティア授業 

珠算指導者講習会(宮崎県)
演題:小学校におけるボランティア授業/高齢者ボランティア授業

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 平成29年度珠算指導者講習会を8月27日、宮崎県珠算会館にて行いました。今回は小学校におけるボランティア授業・高齢者ボランティア授業というテーマで、会員の中より3名の先生方に代表として講師をお願いしました。会員43名中32名、会員外からも2名の参加があり、熱心に耳を傾けておられました。

 小学校のボランティア授業では髙萩啓紀先生が、たのしいそろばんの冊子を使っての授業、歴史の紹介、筆算とそろばんの計算の違い、暗算ができるようになる等々、そろばんのよさを知らしめることが大事であるという話をされました。

 今村聖先生は簡単なフラッシュ暗算、そして授業の後にクイズで参観に来られている学校の先生方も交え大盛りあがりの楽しい授業の様子を話されました。

 また、野崎僚子先生は、高齢者の授業をしている中で、弱々しい字を書かれていた方が日を増すごとにしっかりした数字を書けるようになったり、15級から検定を受け、合格者の証書授与の日は、園のほうで垂れ幕を用意され拍手の中で手渡されているなど話されました。

 500年も前から受け継がれている日本古来の伝統文化であるこのそろばんも現在は脳育として取りあげられる時代、そろばんに携わる者として、まだまだがんばらなければと心を燃やした日でした。

YELL VOL.12~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ from原田 孔平 


YELL  VOL.12
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 原田 孔平(作家)

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<略歴>
昭和24年生まれ
私立桐朋高校卒
その後、珠算活動を経て、作家へ
著書「浮かれ鳶の事件帖」他。
時代小説を手がけ、著書の随所にかつての珠算指導者としての知見を盛り込み、当時の寺子屋での珠算指導などの記述がある。


 私が珠算界を離れてから随分の時が経った。なのに、私の夢の中には、未だに珠算を教えていた頃の自分が出てくる。子供たちとじゃれ合っているシーンもあれば、遊園地に生徒を置き忘れ、慌てて戻ったことなど、夢は忘れかけていた記憶さえ思い出させてくれる。目覚めた後で「そんなこともあったなあ」と懐かしさを覚えたりもするが、中にはかなりのほろ苦さを味あわせてくれるものもある。それは一人しかいなかった生徒を3ヵ月間教えていた頃の記憶だ。入学随時とは謳っているものの、現実問題として生徒は月初めにしか入ってこない。つまり月初めが過ぎてしまえば、その月の生徒数は現状のままであり、下手をすれば減少することも起り得る。一がゼロになっては塾の存在価値はない。私の珠算生活は、まさに切れかかったロープにしがみつく格好でスタートを切った。

 ところが、どうやら貧乏神には、幸運の女神という不釣り合いな彼女がいるらしく、貧乏神が目を離した隙に、小粋な女神が私に微笑みかけてくれた。たった一人の塾生であった8歳の女の子は我慢強く、隙間風が吹き抜ける貧乏神好みの塾を健気にも支えてくれた。4ヵ月目になり、生徒数が3倍になったときの感動は、いまだに忘れることができないものとなった。不思議なことに、このときの感動を再現する夢はいまだに出てきてはくれないが、それはおそらく、私に憑りついていた貧乏神が、私を見限る前に嫌がらせの呪いをかけていったためと思われる。

 かくして私は、珠算人の仲間入りをしたわけだが、実際に足を踏み入れてみると、珠算界というのは思いのほか悪くなかった。たとえ入会したばかりの新米教師でも、先輩方は一応、一国一城の主と見て、敬意をもって接してくれたからだ。無論、多少の序列はあったが、世間一般でいわれるやかましやの上司といったものはほとんど存在しなかった。そのうえ、所得も人並み以上にあったことから、当時の私には「珠算教師という職業は、なんとも気儘(きまま)で旨味のあるものよ」と一人悦に入る感さえあった。

 それが錯覚であると感じ始めたのは、昭和60年代に入ってすぐの頃だ。日本中がバブル景気に沸く中、珠算界がその恩恵に浴していないことに気づいたからだ。その後、貿易赤字に苦しむ米国が強引なドル高対策に乗り出したことから、我が国のバブルは弾け、未曽有の不景気が日本中を席巻した。これにより珠算人口は急激に減り、誰もが少子化を理由にあげた。だが私は、そうは見ていなかった。確かに少子化の影響もあるが、減少の要因としては、バブルの好景気に酔った日本人の目が海外に向けられ、一時的に珠算のような日本古来の習い事を軽視したことの方が大きいと捉えた。珠算にとってなによりの不運は、バブルが崩壊した後の緊縮財政が、さらなる追い打ちをかけたゆえだと。

 それでも私は、珠算が必ずかつての栄光を取り戻すと信じていた。その根拠を問われれば、こと人間の能力を最大限に引き出すという点において、珠算ほど優れた習い事は他に例を見ないからであると、私は当時も今も、きっとそう答えるだろう。昨今、都内の塾では生徒数が緩やかながら増加傾向にあると聞く。また、一部の幼稚園では、珠算を取り入れているとも聞いた。これは非常に明るい話題であり、かつ画期的な出来事であると思う。

 なぜなら日本古来の習い事というのは、珠算に限らず、書道、柔剣道に至るまで、入門時期や入塾年齢に拘らないという特性を持っているからだ。おそらくは寺子屋時代の名残なのだろうが、入学時期が定まっていないということは、卒業式も無いということになる。つまりは習得期間が提示されていないのと同じだ。これは現在の保護者たちの目にはどう映るだろう。少子化の影響で、親たちは子供の教育により神経を使うようになった。塾に通わせるにもできるだけ多くの情報を集めたがるというのに、肝心の習得期間が提示されていなければ、保護者たちに敬遠される要因ともなりかねない。一昔前ならば、2級、3級の資格を取るまでという一定の基準が保護者側にもあったが、今はさほど、その資格に社会的な価値はない。がっかりさせたようで申し訳ないが、やはり保護者が求めるのは、一定基準の計算力を身につけることと、それに要する習得期間の提示だろう。

 最後に、私が一番懸念している問題についても触れておきたい。それは珠算に限らず、あらゆる分野において、その道の最高技能取得者は尊敬され、優遇されなくてはならないということだ。最高技能取得者とは、言わずと知れた十段位既得者たちだ。同時に、彼らはもれなく幼児教育体験者でもある。そんな彼らに、これまで彼らがしてきた努力に相応しい報酬を用意し、それなりの地位を与えることができれば、珠算界はもう一つ上のステップへと進めるのではないだろうか。幼児教育は難しい。私が珠算界にいた頃にも幾度か取り沙汰され、その都度講習会も行われた。だが、すでに指導的立場にいる教師に、それを学ばせることは無理があった。今にして思うことだが、その頃、十段位既得者に珠算認定技能教師の資格を与え、言葉は悪いが、彼らを貸与する方法があったとしたら、珠算界は今とは別の様相を呈していたかもしれない。将来、どこかの塾が習得期間を区切って幼児教育に乗り出したとき、認定教師として週一回でも彼らが派遣されるならば、カリキュラムを組むのも容易くなるはずだ。珠算は必ずかつての栄光を取り戻すと信じているが、それには珠算が時代に受け入れやすくする努力も必要だ。珠算界を去った私が言うのも口幅ったいが、今も珠算を支え続ける骨太の珠算人がいる限り、栄光の日々はそう遠くはないだろう。