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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.14
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 中村彰秀(福岡県)

YELL 画像

<略歴>
1975年 福岡県行橋市生まれ
1981年 行橋珠算学校にて西野嘉賢先生に師事

福岡県立京都高等学校・九州大学理学部数学科卒業

1998年 ㈱ジャストシステムに開発職として勤務
2005年 北九州市立守恒中学校数学科教諭 バスケットボール部顧問
2008年 北九州市立高等学校数学科教諭 珠算部顧問 

現在に至る


そろばんに魅せられ
そろばんに導かれ
そろばんに創られた半生


 はじめまして。福岡県は北九州市立高等学校にて数学科教諭として勤務している中村彰秀と申します。2004年末まで選手として活動しておりましたが、引退した後も「珠算部顧問」という形で運よく珠算に関わらせていただいております。そろばんOBといえるか微妙なラインにいる私ですが、本稿が先生方のお目に留まるのも何かの縁。先生方への、そして珠算界へのYELLとなれば幸いです。

 2008年に北九州市立高等学校に赴任し、かれこれ10年が経ちました。それ以前は中学校でバスケットボール部の顧問として生徒たちと汗を流す日々。運動経験が全くない私でしたが、「若い男性教員は運動部の顧問」という風潮のもと、奮闘しておりました。
 赴任先の高校には奇跡的に珠算部があり、奇跡的に顧問枠に空きがあり、奇跡的なご縁で再び珠算と関わることになりました。顧問就任が決定し、まだ見ぬ生徒を想像しながら、全日本珠算選手権大会をはじめとする珠算大会で活躍させたいという願いを胸に、生徒との初対面を待ちわびていました。
 いざ現場に入ってみると、そこには私の知らなかった珠算の世界が待ち受けていました。ほとんどの高校の珠算部は夏に行われる「全国高等学校珠算・電卓競技大会」を最大の目標に設定して活動しているのですが、この大会の説明をするために、高校珠算界における「珠算」の立ち位置を確認しておかないといけません。

 珠算は高等学校の授業区分としては商業科目に属します。珠算は「年金」「手形」「株式・債券」「減価償却」などさまざまなビジネスシーンで活用されることが前提。したがって、高校珠算部の大会はビジネスにおける計算、すなわち応用計算が重視されることになります。残念ながら、実務ツールとしてのそろばんはすでに役目を終えたといっても過言ではありませんが、高校教育には色濃く残っているわけです。
 それは「全国高等学校珠算・電卓競技大会」の総合競技の内訳にも表れています。普通計算(乗算・除算・見取算)が300点、応用計算が300点の合計600点満点。普通計算は五~六段程度でも満点をとれる可能性があるため、必然的に応用計算の練習に割く時間が長くなります。高校大会の応用計算はとても難しいうえ、近年難問化が進んでおり、弾く力以上に知識や読解力が問われる、経験がモノをいう種目です。逆にいえば、高校入学後初めてそろばんに触れる生徒でも、3年間がんばれば全国大会で活躍できる選手になれる可能性も秘めています。
 また、ビジネスを意識しているということで、礼法指導にも力を入れている珠算部が多いと思います。珠算塾の先生方からみられて、珠算部の生徒はマナーがしっかりしている、子供たちの手本になる、という好印象を抱いていただければ、顧問としてこれほどうれしいことはありません。
 このような世界があると知らずに顧問となった私は、気がつけば高校珠算界の魅力に、そして応用計算の魅力にどっぷりと浸かっていきました。

 ところで近年、小学生以下の珠算人口は増加傾向にあるといわれているようですが、高校珠算界に身を置いている立場としては、そのことを感じられる機会はほとんどありません。事実、20年ほど前、福岡県大会に参加していた高校は20校以上ありましたが、本年はわずかに5校。わずか2~3校で全国大会予選を行っている地域もあると聞いております。このことからもわかるように、高校珠算部は存続の危機を乗り越えられなかったところが数多くあり、選手勧誘は大きなテーマであります。
 冬の時代といっても過言ではない高校珠算界ですが、北九州市を中心とした福岡県の先生方に多大なご支援をいただき、本校珠算部は活動を続けることができております。中でも本校珠算部OBで「長谷川珠算塾」(北九州市戸畑区)を主宰されている長谷川雅子先生には、年中無休・24時間体制で支えていただいております。明るく、楽しく、厳しく、格好よく、ときには生徒を突き放し、それ以上に抱きしめ、心を掴んで離さない指導はいつもほれぼれしています。悩みや相談も多く聞いていただき、尊敬してやまない先生です。
 数多くの十段位取得者を輩出し、技術指導面でも超一流。そのうえ、珠算界全体のことを考えて行動される姿を見て、私も珠算界に恩返しをしなくてはならないと考えるようになりました。できることといえば限られますが、例えば小学校でボランティア授業を企画したり、小中学生向けの大会のお手伝いをさせていただいたり、練習問題を作成するなど、微力ながらも活動を始めたのは、長谷川先生の言外のお導きによるものです。

 今でこそ高校の教員をしていますが、この夢を実現できたのは33歳のときでした。大学を選ぶとき「高校で数学を教えたい」という希望を持ち進学先を決めたものの、卒業時に受験した教員採用試験は不合格。教員の道を諦め、プログラマーとして徳島県で働くことを選択しました。中学校3年生でそろばんを辞め、そろばんと接点のない生活を約10年間送っていましたが、25歳のときに「山下珠算塾」(徳島県北島町)を主宰されている山下キセ子先生と出会ったことで、私の人生の方向性が大きく動きはじめます。
 西暦2000年を迎えインターネットが家庭に浸透し始めたころ、珠算七段、暗算弐段のアンバランスが何となく気にかかり、検索した結果見つかったのが山下珠算塾との馴れ初め。このときの何気ない気がかりがなければ、きっと私はIT業界で別の夢を見ていたことでしょう。
 山下先生には珠算九段、暗算九段まで育てていただきました。大人になっても能力を伸ばすことができるということを教えていただき、その結果、全国各地に切磋琢磨する仲間もできました。視野を広げていただいただけでなく、子供たちと関わることの楽しさ、教えることの喜び、そして大人になって習い事に関わる意味を理解させていただきました。
 山下珠算塾での5年間が「教員になりたい」という目標を再び思い出させ、30歳で教師へと転身。3年間の中学校勤務を経て、33歳で現任校へ異動を果たします。「高校で数学を教えたい」の思いが実現しただけでなく、再びそろばんとも関われているのは、山下先生から「念ずれば通ず」ということを示していただいたおかげだと感謝しております。

 そんな私の珠算人生は、小学校1年生の5月2日、「行橋珠算学校」(故西野嘉賢先生主宰)からスタートします。どのようにしてそろばんに興味を持ったのか記憶しておりませんが、両親がいうには「とにかくそろばんを習わせてほしい」と懇願したとのこと。今思えば、生まれて初めてのテスト(しかも算数)で0点を取ったことがきっかけだったのかもしれません。
 西野先生の第一印象はとにかく怖い。いたずらや手抜きをして怒られたときの迫力は凄まじいものがありました。しかし、教えてくださる声は非常に穏やかで新しいことを吸収しようとすると、とても褒めてくださいます。楽しみながら「努力は裏切らない」という生きる基本を教えていただきました。読上算を歌うように読まれる先生で、練習の最後に毎回読んでいただいたおかげで、読上算が一番の得意種目になりました。現在指導の柱の一つとして読上算を据えているのは、間違いなく行橋珠算学校の経験に由来しています。
 勉強や進路の相談にもよく乗っていただきました。特に高校進学の際は、商業科進学を希望していた私に、同じ学校の別学科進学を勧めていただきました。その結果、大学進学を果たし現在にいたります。

 普通の会社員と主婦の間に育った私ですが、教育の道に入ったこと、珠算に再び関われていることを両親はとても喜んでくれています。(ただ、現時点では早く結婚することが一番の親孝行のようです)
 その両親は、何度も珠算から離れたにも関わらず、今また珠算に関わることができている私を見て「西野先生からよい【遊び道具】を教えてもらったおかげだね」といいます。【珠算=遊び道具】と形容され、私と珠算の関係は【一生ともにする遊び仲間】のように感じるようになりました。

 「弟子に準備ができたとき、師が現れる」といわれますが、これまで数多くの先生方が、私の段階に応じて導いてくださいました。そして、どの先生も「心と心のふれあい」をベースに私に接してくださいます。本稿をお読みの先生方と出会うときは、私の準備が整ったとき。出会いに導かれ、さらに成長した未来の自分を想像すると楽しみで仕方ありません。

 末筆となりましたが、貴連盟には光栄にも原稿執筆の機会と先生方とのご縁をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。先生方をはじめ、そろばんに携わっておられるすべてのみなさまのご多幸を祈念し、筆をおかせていただきます。

YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.13
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 堀田紳也(愛知県)

◆顔写真

<略歴>
昭和56年
岐阜県各務ヶ原市生まれ
昭和62年
珠算学習を開始
平成18年
名古屋大学大学院工学部工学研究科 卒業
株式会社デンソー 入社
平成24年
DENSO Haryana Private limited 赴任
平成26年
帰任

【全国珠算教育連盟 段位認定試験 珠算十段/暗算十段 取得】
【全日本珠算選手権大会 14回出場】

◆自己紹介

 はじめまして、愛知県在住の堀田紳也と申します。社会人として仕事をしながら趣味として各地の珠算競技大会に参加している現役選手です。この原稿の趣旨である「そろばんOBからのメッセージ」とは外れてしまうかもしれませんが、大人になった今でも珠算を続けられている理由、その魅力についてお伝えしたいと思います。

 小学校1年生のときに静岡県磐田市で珠算を始めました。商業高校の有段者が多く、子供ながらに中学生や高校生になっても珠算を続けるのが当たり前だという意識があったと思います。習い事は珠算に専念していたので多いときには週5回の練習を行い、検定試験に加えて競技大会にも数多く参加させていただきました。県外まで遠征して泊まりで大会に参加することもありました。大会の内容だけでなく、宿泊所の大部屋で教室の同級生と枕投げをしたことなどは今になっても記憶に残っています。

◆海を越えて ~社会人として、珠算選手として~


 私が勤める株式会社デンソーでは主に自動車部品を製造しており、お客様(自動車メーカー)へよい品質の製品をお届けする役割を担っています。近年の国際化に伴い市場は全世界へ広がり、私自身も成長著しいインドへの赴任を命じられました。このとき31歳。社会人としても珠算選手としても一番思い出深い年になりました。

 デリー空港を出たときに私を出迎えてくれたのはカレーのスパイスと砂ぼこりの匂い。それから私の赴任生活が始まりました。当初は生活に慣れるだけでも大変!夏の気温は50度近くまで上がり容赦なく体力を奪います。主食となるカレーは油っぽくて胃腸のトラブルには常に悩まされていました。インドの公用語は英語とヒンディー語ですが、現地人でも英語が片言の人が多いのが現状です。初対面の人とは「この人は英語がどれだけ話せるのか」を探りながらの会話になります。買い物・外食・家の補修・・・何をするにも現地人とのコミュニケーションは不可欠で、日本でする倍近くの時間がかかりました。

 仕事面でもカルチャーショックの連続でした。私は品質保証の仕事をしており、お客様との窓口として直接やり取りをする機会もあります。もともと海外向けのお客様対応の仕事をしていましたが、現地に飛び込むとまた勝手が違います。詳細は割愛しますがインドのお客様・会社特有の事情のため、最初のうちは話の内容だけでなく対人での接し方など、理解できないようなことが多々あり苦労しました。

 そんな中でも私の支えとなったのは珠算でした。インドにもそろばんを持っていき、練習を継続しました。無心になってそろばんを弾いていると、今までの記憶が呼び起こされてきます・・・習い始めのときにうまくそろばんが弾けず泣いていたこと、大会で優勝できたこと、そろばんを通じて全国に友人ができたこと・・・。環境は大きく変わったけれど、自分のバックボーンには珠算があるということを心の底から感じ、日本にいたときのペースを少しずつ取り戻すことができました。

 インドでの生活にある程度余裕ができたときに思ったのは、珠算を続けるうえでの目標がほしいということです。海をまたいで珠算の競技大会に参加したいという思いが強くなりました。運営のご厚意もあり、日本最高レベルの大会である全日本珠算選手権大会にインド所属の選手として参加させていただきました。大会に向けて練習時間は不足していましたが優先順位を決めて普段以上に練習メニューを練りこみ調整しました。デリー空港~成田~会場の京都まで乗り継ぎ含め約12時間。会場に志を同じくする選手が500人以上集まっているのを見たときには胸が熱くなるものがありました。

 そして大会開始。総合競技の出来は今一つでしたが、種目別競技では7~16桁の読上算を正答させて5位に入賞!インドからの参加選手としては史上初のことと思います。当時は英語とヒンディー語に囲まれて生活していたので読み上げられる数字が日本語だというだけで聞きやすかったのかもしれません。現時点では私にとって最初で最後の種目別競技の入賞、それがインド所属の選手として参加したこの年に達成できたというのは非常に思い出深いものがあります。たまにこういう経験があると、現役選手としてがんばろうというエネルギーになります。

◆私が考える珠算の魅力

 周知のこととは思いますが、珠算学習を通じて圧倒的な計算力・暗算力が身につくのがメリットです。私も学生のときは算数や理科での計算は一瞬で終わらせて考える時間を多く使うことができたと思います。社会人になってからも見積もりの概算やデータ整理での検算など多くの場面で役立ってきました。しかし、実際のところ珠算・暗算1級を取得すれば日常生活で必要になる桁数・スピードとしては十分だと思います。

 それ以上のレベルを追い求める理由は、珠算競技そのものに魅力を感じているからという他にありません。私が考える珠算競技の魅力、それは「自分で目標設定してそれを達成することで上達し続ける充実感」ではないかと思います。

 これはビジネスの場面でよく使われる「PDCAのサイクルを回す」ということに通じます。それはP:計画⇒D:実行⇒C:チェック⇒A:改善という一連の流れを繰り返すことで仕事の質を継続的に改善していくというものです。参加する大会とそこで達成したい目標を定め、それを実現するための練習計画を作成し練習をする。大会が終わってから目標と結果を比較して次の大会に向けての計画を改善する。この流れは珠算を続ける中で無意識に繰り返していることだと思います。

 それに加え、珠算では結果の評価尺度が非常に正確であるのが特徴です。何秒間に何問正解させたか。それが他の選手と比較して多いか少ないか。自分の上達度合いが定量的に把握できるため上達を実感しやすいのが魅力だといえます。
 
 しばしば「珠算は頭脳のスポーツ」というように比喩されますが、特に陸上競技と通じるものが多いと思います。他人との競争を通じて自分自身の記録の限界に挑むということで共通しており、その行為自体が尊いものです。自動車で速く目的地に着けるようになったからといって陸上競技でマラソンをする人がいなくなるわけではありません。それと同様に、パソコンや電卓が普及したからといって珠算競技がその価値を失うことはないのです。

◆最後に

 30代半ばを迎え、大会に参加したときに私より年上の選手が非常に少なくなりました。数字の読み取りに必要な瞬間視、字を書く細かい動きや反射神経ではピークを過ぎたかもしれないと感じるときもありますが、技術と経験で補って少しでも若い選手についていきたいと思います。その意欲が衰えない限りまだまだ「そろばんOB」になる日は遠そうですね。

 最後になりましたが全国の珠算関係者のますますのご活躍・ご発展をお祈りしております。私も珠算界を形作る一員として微力ではありますが努力していきたいと思います。

<過去の記事>
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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  


YELL  VOL.12
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 原田 孔平(作家)

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<略歴>
昭和24年生まれ
私立桐朋高校卒
その後、珠算活動を経て、作家へ
著書「浮かれ鳶の事件帖」他。
時代小説を手がけ、著書の随所にかつての珠算指導者としての知見を盛り込み、当時の寺子屋での珠算指導などの記述がある。


 私が珠算界を離れてから随分の時が経った。なのに、私の夢の中には、未だに珠算を教えていた頃の自分が出てくる。子供たちとじゃれ合っているシーンもあれば、遊園地に生徒を置き忘れ、慌てて戻ったことなど、夢は忘れかけていた記憶さえ思い出させてくれる。目覚めた後で「そんなこともあったなあ」と懐かしさを覚えたりもするが、中にはかなりのほろ苦さを味あわせてくれるものもある。それは一人しかいなかった生徒を3ヵ月間教えていた頃の記憶だ。入学随時とは謳っているものの、現実問題として生徒は月初めにしか入ってこない。つまり月初めが過ぎてしまえば、その月の生徒数は現状のままであり、下手をすれば減少することも起り得る。一がゼロになっては塾の存在価値はない。私の珠算生活は、まさに切れかかったロープにしがみつく格好でスタートを切った。

 ところが、どうやら貧乏神には、幸運の女神という不釣り合いな彼女がいるらしく、貧乏神が目を離した隙に、小粋な女神が私に微笑みかけてくれた。たった一人の塾生であった8歳の女の子は我慢強く、隙間風が吹き抜ける貧乏神好みの塾を健気にも支えてくれた。4ヵ月目になり、生徒数が3倍になったときの感動は、いまだに忘れることができないものとなった。不思議なことに、このときの感動を再現する夢はいまだに出てきてはくれないが、それはおそらく、私に憑りついていた貧乏神が、私を見限る前に嫌がらせの呪いをかけていったためと思われる。

 かくして私は、珠算人の仲間入りをしたわけだが、実際に足を踏み入れてみると、珠算界というのは思いのほか悪くなかった。たとえ入会したばかりの新米教師でも、先輩方は一応、一国一城の主と見て、敬意をもって接してくれたからだ。無論、多少の序列はあったが、世間一般でいわれるやかましやの上司といったものはほとんど存在しなかった。そのうえ、所得も人並み以上にあったことから、当時の私には「珠算教師という職業は、なんとも気儘(きまま)で旨味のあるものよ」と一人悦に入る感さえあった。

 それが錯覚であると感じ始めたのは、昭和60年代に入ってすぐの頃だ。日本中がバブル景気に沸く中、珠算界がその恩恵に浴していないことに気づいたからだ。その後、貿易赤字に苦しむ米国が強引なドル高対策に乗り出したことから、我が国のバブルは弾け、未曽有の不景気が日本中を席巻した。これにより珠算人口は急激に減り、誰もが少子化を理由にあげた。だが私は、そうは見ていなかった。確かに少子化の影響もあるが、減少の要因としては、バブルの好景気に酔った日本人の目が海外に向けられ、一時的に珠算のような日本古来の習い事を軽視したことの方が大きいと捉えた。珠算にとってなによりの不運は、バブルが崩壊した後の緊縮財政が、さらなる追い打ちをかけたゆえだと。

 それでも私は、珠算が必ずかつての栄光を取り戻すと信じていた。その根拠を問われれば、こと人間の能力を最大限に引き出すという点において、珠算ほど優れた習い事は他に例を見ないからであると、私は当時も今も、きっとそう答えるだろう。昨今、都内の塾では生徒数が緩やかながら増加傾向にあると聞く。また、一部の幼稚園では、珠算を取り入れているとも聞いた。これは非常に明るい話題であり、かつ画期的な出来事であると思う。

 なぜなら日本古来の習い事というのは、珠算に限らず、書道、柔剣道に至るまで、入門時期や入塾年齢に拘らないという特性を持っているからだ。おそらくは寺子屋時代の名残なのだろうが、入学時期が定まっていないということは、卒業式も無いということになる。つまりは習得期間が提示されていないのと同じだ。これは現在の保護者たちの目にはどう映るだろう。少子化の影響で、親たちは子供の教育により神経を使うようになった。塾に通わせるにもできるだけ多くの情報を集めたがるというのに、肝心の習得期間が提示されていなければ、保護者たちに敬遠される要因ともなりかねない。一昔前ならば、2級、3級の資格を取るまでという一定の基準が保護者側にもあったが、今はさほど、その資格に社会的な価値はない。がっかりさせたようで申し訳ないが、やはり保護者が求めるのは、一定基準の計算力を身につけることと、それに要する習得期間の提示だろう。

 最後に、私が一番懸念している問題についても触れておきたい。それは珠算に限らず、あらゆる分野において、その道の最高技能取得者は尊敬され、優遇されなくてはならないということだ。最高技能取得者とは、言わずと知れた十段位既得者たちだ。同時に、彼らはもれなく幼児教育体験者でもある。そんな彼らに、これまで彼らがしてきた努力に相応しい報酬を用意し、それなりの地位を与えることができれば、珠算界はもう一つ上のステップへと進めるのではないだろうか。幼児教育は難しい。私が珠算界にいた頃にも幾度か取り沙汰され、その都度講習会も行われた。だが、すでに指導的立場にいる教師に、それを学ばせることは無理があった。今にして思うことだが、その頃、十段位既得者に珠算認定技能教師の資格を与え、言葉は悪いが、彼らを貸与する方法があったとしたら、珠算界は今とは別の様相を呈していたかもしれない。将来、どこかの塾が習得期間を区切って幼児教育に乗り出したとき、認定教師として週一回でも彼らが派遣されるならば、カリキュラムを組むのも容易くなるはずだ。珠算は必ずかつての栄光を取り戻すと信じているが、それには珠算が時代に受け入れやすくする努力も必要だ。珠算界を去った私が言うのも口幅ったいが、今も珠算を支え続ける骨太の珠算人がいる限り、栄光の日々はそう遠くはないだろう。

<過去の記事>
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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.11
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
101歳、まだまだ現役 ~全珠連最高齢会員/現役そろばん指導者~
from 日向 竜子(全珠連和歌山県支部会員)

 今回は、全珠連最高齢会員の日向竜子氏に、そろばん指導者としての半生を振り返っていただきました。

⑧

<略歴>
・大正5年
 和歌山県田辺市生まれ

 小学校教員を経て、昭和35年全珠連入会、昭和55年珠算教育士取得、現在に至る。

 大正5年生まれですからね、この6月で101歳になりました。

 会員になる前は学校に勤めていました。小学校の先生です。勤めて6~7年、普通の小学校教員でいたのですが、ちょうどそろばんが盛んになりかけの時期に、誰からともなく「お昼休みに学校でそろばんの授業を…」ということで始まったんです。始めてみると、時間が短い。お昼休みやから。

 ちょうどその頃、亡くなられた西村先生、山本泰弘先生たちがそろばんの塾を始められるということを聞きました。西村先生とは親戚にもなりますので、相談しますと「始めてみたらどう」と勧められました。学校の先生方も「塾を始めたら必ず子供たちが行くから」って言ってくださいました。あれは何年やったか、会津小学校、上秋津小学校、奥の秋津川小学校の近くでそろばん塾を始めることになりました。また、私の父が師範学校にいたので、各小学校の校長先生の支援もあったんです。おかげで生徒がいっぱい集まりました。100人余り座れる教室でも遅く来た生徒は待たされて、大変でした。
 
 全珠連の入会は、昭和35年です。そろばんを始めて60年近くになります。ちょうど、そろばんが学校の教科になったので、どっと生徒がきてくれました。主人と二人で何箇所も掛け持ちでの授業でした。早朝の教室も2箇所ほどありました。大変忙しかったけど、楽しかった思い出です。

 主人は60歳で亡くなりました。その後は息子と足が悪くなった10年ほど前までがんばってきました。それからは椅子に座っての先生です。教室での検定試験のときは、椅子に座って「ヨーイ始め!」「止め!」の係をやっています。

 子供に教えるのはとても楽しいですよ。そろばんが苦手な生徒を教室の前の方で、繰り返し繰り返し教えるのです。

*ご子息の憲司先生談・田舎の子供相手に、まるで自分の子供に教えるように教えていました。

 そろばんを習う子供が少なくなったのは、子供の数が減ったのと、小学生でもいろんなスポーツが盛んになって、子供たちや保護者の目がそちらに向いてしまったからではないかと思います。

 元々、内臓が元気で、血液検査をしてもどこも悪くありません。健康の秘訣は?と聞かれましても特別なことは何もしていませんが、食べ物の好き嫌いはありません。息子の献立で毎日、野菜と肉と魚はバランスよく食べています。

 趣味はカメラです。70歳位までは休みになると友達と旅行に行って、あちらこちらを撮っていました。

 昨年9月に田辺市長から、100歳の表彰をしてもらいました。記念の夏布団は、せっかくいただいたものなので大事に使わせてもらっています。
 
 10年位前までは、健康のため補助車を押して家の周りを毎日回っていましたが、ベッドから降りるときに尻餅をついて、骨盤を骨折しました。完治はしたのですが、それから怖くて歩かなくなりました。歩かないから筋力が衰え、余計に足が悪くなってしまいました。

 100歳になっても昔のことを忘れるということは無かったのですが、ここ最近は物忘れが酷くなってきました。それと骨粗鬆症というのでしょうか、今も病院へ通っています。

 この間の検定試験では座って監督をしました。これが本当の試験監督です。(笑)

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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~    

YELL  VOL.10
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 福島 弘之(パナソニック株式会社 珠算部)

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<略歴>
・昭和52年
 大阪府吹田市生まれ
・兵庫県神戸市、高知市、徳島市、兵庫県西宮市の4地域で珠算を修学
・平成12年 
 関西学院大学商学部 卒業
 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社) 入社
・平成25年
 インドネシアの海外子会社に経理担当取締役として赴任
・パナソニック珠算部主将を兼任
【珠算十段・暗算十段】

 私は、まだ現役で珠算競技生活を続けている社会人です。すなわち、そろばんOBでもなく、未だに周りの多くの方から応援していただいているわけであり、YELLの主旨からは外れているかもしれません。しかしながら、光栄なことに本原稿のご依頼をいただきましたので、今までそろばんを通じて得た貴重な出会い、気付き、今後の目標についてお話させていただこうと思います。

 そろばんを始めたのは6歳の誕生日当日、全くそろばんに無縁の親に連れられて教室に行ったのが最初でした。小学校1年生から許される入塾を、無理言って入れてもらい、ちゃんとやらないとすぐやめさせるぞ、と脅されながら始めた記憶が残っています。ある日、教室での隣の席が小学校高学年か中学生のお兄ちゃんで、そろばんの弾きが速いこと、速いこと・・・。あとで聞くとまだ参段とのことでしたが、入塾当初の私にはそれは衝撃的な光景でした。それ以来、とにかくあのようにやってみたいと、練習でも検定本番でも定められた制限時間など眼中に無し、今日はどれくらい短く、速く、そして激しくそろばんができるか、ある意味「競技気質」が私の中に生まれたきっかけになったように思います。

 その後、親の転勤で転居が数回あり、そのたびにそろばん教室も変わり、新たな先生にご指導いただきながら、そろばんを続けてきました。ありがたいことに常に誰か競争相手がおり、かつ競技好きな先生ばかりでしたので、自分に合った形で継続し、中学入学と同時に再び転居で4つ目のそろばん教室に移りました。初の男性の先生であったこと、中学生ですから、それなりに緊張感を滲ませながら、おとなしく最初の練習に臨んでいたのですが、乗算・除算と終わり、次の見取算が始まった瞬間、計算準備で構えた私のそろばんを取りあげ、「何そろばん使ってるんや!!」と。今となれば、全日本大会でもほとんどの人が見取算は暗算で行うことがスタンダードですが、片田舎から出てきた私は、何を怒られたのか、何が問題なのか、ただ固まるばかりでした。先生の想像をはるかに超える私の深刻な暗算不得手により、その後の昇段(全珠連四段→五段)に5年もかかるというオチもつくのですが、あの瞬間のおかげで、今の暗算力勝負の時代でも現役として続けられる素地となったことは間違いなく、今では酒席の笑い話の一つとして、よき思い出です。

 社会人になっても、そろばんを通じた出会いが私を豊かにしてくれました。パナソニック株式会社に入社し、今では企業で唯一存在している珠算部にも入部、そこで出会った仲間は私より遥かに上手な人ばかりで、練習を一緒にすることで、かなり成績的にも引っ張りあげてもらいました。同時に2001年以降の全日本珠算選手権大会のオープン化(予選はなく自由に出場可能)や、多くの新規競技大会の創設などのありがたい流れにも乗り、全国にも友人やライバルが増え、本当にやりやすい環境でそろばんを続けさせてもらっています。

 自分自身の今までのそろばん人生を振り返り、改めて思うことは、そろばんを通じて出会った方々や、与えていただいた経験等のおかげで、今の自分が成り立っていると強く思います。そして、それが不思議と繋がっていたり、挫折しそうになったときにちょうど仲間が前向きになれる元気を与えてくれたり、本当に幸運であると心よりそう感じています。 一方で、その幸運を100%生かすことができたかというと、今となればもっとあのときにがんばれたのではないか、もっと期待に応えられたのではないか、と後悔することもたくさんあります。運は自分ではコントロールすることができませんが、その巡りあわせに対してどう生かすか、どうアクションを起こすかはすべて自分次第です。
 とにかく全力でそろばんに向かいあっていくことが、何よりの恩返しになるのではないかと感じています。

 話は変わりますが、私は2013年よりインドネシアで働いています。安い労働力を求め、ほとんどのモノづくりを海外移転させてきたメーカーの宿命ではあるのですが、いざ自分自身が海外で働くことになるとは想像できず、不安しかない中で急ぎ赴任したことを昨日のことのように覚えています。
 しかしいざ赴任し、身を助けてくれたのもそろばんでした。インドネシアの人から見ると、私はどこから来たのか得体の知れない謎の外国人、最初は警戒しながらの関係で仕事が始まります。そんな人間が資料を数秒ながめただけで、ここの部分が間違っている、こんな答えの桁にはならない、これくらいの数値になるから見直して、というふうにバシバシ言い当てていくと、インドネシア人からするともう理解不能、マジックのように感じたようです。インドネシアの国民性を表わす言葉に「kira-kira(キラキラ)」というものがあります。これは和訳すると「だいたい、おおよそ」という意味で、よくいうと細部にこだわらず大らかな性格、悪くいうと大事なところでも適当に済ませるというような様子を表現しています。そういう背景もあり、読み方からも比較的日本人が最初に覚えるインドネシア語ですので、「これとそれを掛けて、この数字で割ったら、kira-kira 125.6%になるやろ?」と会話すると、「ボス、それ、kira-kiraじゃないです」と、一体どうなっているんだ、という顔で笑ってくれます。数字や計算は世界共通、そろばんが距離を縮めてくれた一つの出来事です。
 一方、インドネシアは日本の40年ほど前の状況のような気がします。急激な経済発展が始まり、多くの人にとって憧れの物であった車やバイクを手に入れるようになり、世界一激しいといわれる交通渋滞が毎日起きています。さらに、これから学歴社会が始まるといわれており、子供にかける学費に給料の大部分を費やすケースや、仕事をしながら自分自身も大学に通う従業員も多くいます。そろばんにおいても大きな珠算団体が存在し、数回私も教室に突撃訪問させていただきましたが、5桁の見取算を一括で暗算しようとしている子供も見かけるほど、将来は今の日本に負けないくらいのレベルになるのではないかと感じざるを得ません。 

 私自身はさすがにこれから選手としては大きく伸びることはないでしょう。一方、これも本当に偶然が重なりインドネシアに来て、また新たに刺激を受けたもの、得たものは本当に多くあります。今までそろばんを通じて私が得た貴重な出会いや経験を、今後、逆に影響を与える側の存在にどうやってなっていこうか、たまにふと頭の中を巡るときもあります。まだまだ私自身は修行が足りませんし、具体的にどのような形で、というアウトラインも全く見えておりませんが、後悔なく真摯にこれからもそろばんに向かいあっていきたいと思っています。このすばらしいそろばんを通じて繋がる未来に向かって、皆様とご一緒に、これからもそろばんにYELLを送っていきたいと思います。  以 上

※連盟広報誌「全珠連会報」第172号(2017.3)に掲載


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YELL~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~   

YELL  VOL.9
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 隅野 貴裕(毎日パソコン入力コンクール技術顧問)
※連盟広報誌「全珠連会報」第171号(2016.11)に掲載
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昭和57年 東京都小平市生まれ
平成14年 第1回毎日パソコン入力コンクール優勝(以降第6回まで連続優勝 内閣総理大臣賞他、受賞)
平成15年 全日本タイピスト連合設立
現在はシンガポールにてITコンサルタントに従事


  初めにお伝えしますが、実は私はそろばんではなく、キーボードを使った文字入力、つまりタイピングにずっと取り組んできた人間です。毎日新聞社と日本パソコン能力検定委員会の主催する「毎日パソコン入力コンクール」の全国大会において「フラッシュ暗算」という種目があり、そこで毎年珠算の達人の素晴らしい計算能力を拝見しており、そのような場の繋がりからこの機会をいただきました。そろばんもタイピングも、目標を持って日々研鑽に励むこと、検定や大会など努力の成果を発揮して挑戦する場があるという共通点があります。そうして一つの技術に向き合っていくという視点からメッセージをお伝えしたいと思います。

 私がタイピングと出会ったのは、小学校の頃でした。当時はまだパソコンが物珍しい時代でしたが、キーボードを見ないで入力するということに漠然とあこがれを感じていました。幸運にも早い段階でタイピングの練習ソフトに出会い、ホームポジションという正しい手の置き方や指使いを学び、夢中になってキーボードを叩き続けました。そろばんにもありますが、文字入力には速度や正確性という指標があります。練習ソフトではこれが数字としてわかるように表示されたため、日々成長していくことを実感することができました。対戦相手がいたり、チームで取り組んだりするスポーツと違い、自分との戦いになりがちなタイピングの練習において、こうした成績の記録というのは、モチベーションの維持に大きく貢献しました。今より少し上の目標を設定し、それを一つひとつ達成していく。そんな小さな達成感の積み重ねは、努力が形になるということを学ばせてくれました。

 ほどなくして、インターネットの時代が始まりました。今でこそ当たり前ですが、家に居ながらにして、パソコンに向かうだけでいろいろな情報を調べることができたり、誰かとコミュニケーションが取れたり、というのは当時の私には衝撃的でした。そんなある日、インターネット上でタイピングの記録を競い合うウェブサイトを見つけたのです。これが私にとっての転機でした。それまで黙々と一人で取り組んでいたタイピングでしたが、そのウェブサイトによって初めて自分の速さが一体どのくらいのものなのか、ということがわかるようになったのです。そして、人と競い合えるという場は、さらに高い目標設定につながっていきました。

 競い合うようになってから、それまでに加えて一つ大きな要素が加わりました。挫折です。そろばんでも、絶対に間違いない、合っている、と思っていても採点をしてみたら計算に誤りがあった、ということがあると思います。タイピングでも、気持ちのよい程速く打つことができ、これなら!と思っても相手の方が速かったり、正確性で及ばなかったりというのは、一人で練習しているときには無かったことで、初めて抱く感情でした。当時、タイピングというのは覚えるための方法論(ホームポジションなど)は確立されていましたが、それをさらに速く・正確にしていくための方法論はまだまだ不足していて、手探りでした。速さと正確性を求めて、正しいと思って覚えた打ち方や指使いを変えることもありました。たかがタイピングに何をそんなに本気になっているのかと問われることもありましたが、今ならいえます。対象が何であれ、本気で取り組み、小さな達成感と挫折を繰り返しながら習得した技術、そしてその経験というのは何物にも代えがたいものです。努力する楽しさ、その過程にある挫折、その結果としての成長。こういったものが、その後の私の人生にも大きな影響を与えています。

 冒頭で述べた「毎日パソコン入力コンクール」に出会ったのもこの頃です。第1回の大会が行われることを新聞で知り、これまで取り組んできた自分の力を試してみようと申し込みをしました。この大会ができる前は、タイピングゲームの発売記念イベントや、学校の文化祭で行われる小さな大会があったくらいで、さほど規模の大きなものは無かったと思います。自分でもまさかの結果でしたが、コンクールでは優勝することができ、今度はこれを防衛していくためにも、単なるキーの入力速度だけではなく、日本語の漢字変換を含む文章をいかに速く、効率的に入力していくか、という研究に繋がっていきました。その頃には社会人になっていましたが、本業である仕事とは別にライフワークとして真剣に打ち込めることがあるというのは本当に幸せなことだと思いました。2003年には全日本タイピスト連合という団体を設立し、タイピングという技術を広めていく活動もはじめました。

 それからだいぶ経ちますが、今でもタイピングは私のライフワークの一つです。仕事を通じて物事をロジカルに整理する、という経験をすれば、これを活かしてタイピングの教育方法を考えたり、海外で仕事をするようになったら、それを活かして海外のタイピング団体にコンタクトを取り、タイピングの世界大会に参加してみたり。思いもよらなかった形でタイピングとの関係は続いています。

 そろばんもタイピングも、計算や文字入力といった目的があり、そのための手段であることは間違いありません。タイピングにより、メールや資料を素早く仕上げることができるでしょう。そろばんの場合には、計算、そして暗算という形でも活きてきますよね。でも、私はそれだけではないと思っています。今、打ち込んでいるその努力、それによって身に付けた技術とその過程は、単なるスキルに留まらず、自信などのマインド面にも大きなよい影響をもたらしてくれると思います。もしかしたら、人生で切っても切り離せない、やりがいの一つになるかもしれません。達成も挫折もあると思います。でも、努力は裏切りません。ぜひ、がんばって邁進されてください。私も、タイピングアジアカップの開催を夢見ながら、まだまだ邁進します。
以 上



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