FC2ブログ

YELL  VOL.20~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ from 秋山 敏和 

YELL  VOL.20
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 秋山 敏和

YELL秋山さん


<略歴>※全珠連会報第182号(2020.7)に掲載時点
宮城県石巻市生まれ
宮城県石巻商業高等学校卒業
東北学院大学卒業
現在 仙台市立仙台商業高等学校勤務


日本人としての自信と誇りを~我々が伝承すべきもの~

~プロローグ~
 なぜ私のような平凡な者に寄稿の依頼が?
 歴史と伝統のある全珠連の全国誌に、ごくごく平凡な私が本当に寄稿してよいものかどうか、まだ懐疑的な気持ちの中、筆をとっている次第です。前置きが少し長くなるかもしれませんが、一言お話をさせていただければと存じます。

 令和2年2月某日、大学の大先輩であり全珠連理事の丹野知行先生から「全珠連の原稿を書いてくれないか?」と依頼され、「え?私ですか?」と思わず声が漏れてしまいました。しかし、大学時代から珠算塾のアルバイトでお世話になり、卒業後も仕事やプライベートやお酒で30年近く親交がある大先輩からのお願いに、私たちの年代には「はい。喜んで!」の返事以外は、当然あり得ません。引き受けさせていただきました。その後は、何を書こうかと悩ましい日々が続きました。平凡な私には書くネタがない!「参考のために過去の会報を送っていただけますか?」と依頼しました。
 後日届いた数冊の会報を拝見させていただき、愕然としました。寄稿された方々の輝かしい経歴や成績、素晴らしい文書、さらには、表題には「社会の第一線で活躍するそろばんOBから…」すべてが私には当てはまらない。今更ながら引き受けたことを後悔しました。
 しかし、先輩のお願いにお応えしなければ、そして何より、教員の退職まであと2年、小学校4年生からそろばんを習い、50年近くそろばん関係でお世話になった先生方や多くの方たちに、さらに、東日本大震災で支援や応援をいただいた全国の皆様に、少しでも感謝の気持ちと恩返しをしなければならないと、拙い文章ではありますが、メッセージを送らせていただければと思います。

 ~そろばんとの出会い~
 小学校低学年当時、やんちゃで外で遊ぶのが大好きで、かけ算九九もままならず、学校の成績はアヒルの大行進。そんな子供が心配だったのか、3年生の終わり頃、家の近くの珠算塾に強制収容。友達と遊ぶのが楽しくて、時に大脱走・サボタージュして、塾の先生には怒られ、母親にもこっぴどく叱られ、今思い起こせば、塾の先生と母親には本当に迷惑をかけてしまったと、今でも反省し申し訳なく思っています。当時の先生が閻魔様のようにめちゃくちゃ怖かったのと指導力があったおかげで、ハクション大魔王のような数字への抵抗も徐々になくなり、算数も理解できるようになりました。算数ができるようになると、他の科目も抵抗がなくなり少しずつできるようになりました。考えてみると、珠算のおかげで、学習へ取り組む力や集中力、暗記力や観察力などが身についたのだと思います。珠算も5年生の終わり頃には2級を取るところまでたどり着くことができました。その後、家の引っ越しとともに塾も変わり、故佐藤載子先生にお世話になり、優しい先生の指導のおかげで6年生には1級を取得することができました。私はごく平凡で遅咲きだったのだと思います。
 中学校では運動部に所属して、珠算からは離れていましたが、高校は商業高校に入学し、科目の中に珠算があったので、学習とアルバイトを兼ねて、また佐藤先生の塾でお世話になりました。さらに、高校では段位の取得もでき、部活動も途中から珠算部に勧誘され、好成績は残せませんでしたが、部員とともに東北大会や全国大会にも出場することができました。珠算塾のアルバイトを通して、教えることの楽しさや難しさなどのやりがいを感じて、その頃から先生という仕事もいいなと思うようになったのかもしれません。私の人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。
 その後、大学へ入学し、どの部活動やサークルに入ろうかと迷っていましたが、大学にも珠算部があることを知り、ビックリしたのと同時に入部することに決めました。大学では、珠算部の仲間やブロック大会での全国の人たちとの出会い、そくさん研究所のアルバイトで、丹野先生をはじめ奥様の康子先生、大橋先生や大泉先生など多くの珠算関係の方とも交流を持たせていただき、指導方法など教えていただくことができました。
 大学卒業後は、高校の商業科の教員として、珠算電卓の指導、数年間ですが珠算部の顧問もさせていただき、生徒を全国大会へ導いたこともありました。また、珠算電卓検定試験の運営、商業高校で行われる県の珠算大会の運営、東北六県事務局として東北六県珠算競技大会の運営など、さらに、珠算大会を通して、高校の大先輩である林大治郎先生との出会いや東北六県の珠算関係の方たちとの出会いなど、長年にわたりさまざまな場面で、珠算関係に関わらせていただきました。
 今振り返ってみると、これまで意識はしていなかったのですが、私の人生の隣には、いつも珠算があったのではないかと改めて感じています。

 ~「読み・書き・そろばん」は永遠なり~
 私は30数余年商業科の教員として高校に勤務してきました。まだまだ人間として、教員として不足している所はあると思いますが、一人の教育者として珠算だけではなく電卓やコンピュータ、さらに簿記会計など商業科目の指導にも関わってきたことで、私が感じてきたことをお話しさせていただきたいと思います。もしかしたら「井の中の蛙大海を知らず」かもしれません。あくまで私個人の考えとして受け取っていただければ幸いです。
 さて、人が身につけるもの、修得するものとして昔から「読み・書き・そろばん」といわれてきました。それが現在、商業や教育界では「英語・会計・コンピュータ」といわれています。事実、小学校では、カリキュラムの中に英語やコンピュータやプログラミング教育が取り入れられています。教育内容や人が身につけるものは、時代の変遷や世界的な流れとともに、試行錯誤を繰り返しながら変わっていくのは当然のことだとは思います。特に日本人は、昔から海外や他の人から取り入れたものを工夫・加工・進化させて成長してきましたし、何より日本人は新し物好きであるという特徴を持っているのだと思います。これらのことは社会も人間も成長発展するうえで本当に必要なことだし、大切なことだと思います。
 ところで、インドにインド式計算があるように、日本には「日本式計算」のかけ算九九とともに、卓越した道具としての「そろばん」があるのではないでしょうか。コンピュータでアルゴリズムを学習するためにプログラム教育があるように、四則演算のアルゴリズムを学習するのにそろばんが本当に優れていると思います。さらに、そろばんの素晴らしいところは、学習することで付加価値として、何より暗算力が身につき、集中力や忍耐力、考察力や観察力、目標に向けて努力する実行力など、さまざまな能力が知らず知らずのうちに身についていることだと思います。われわれ日本人は「そろばん」に対してもっと自信と誇りを持っていいのではないでしょうか。
 さらに、現在日々デジタル化が進み、コンピュータやスマートフォンが一人一台の時代を迎えて、「そろばんはアナログで古いもの」というイメージが多くの人の中にあるのではないでしょうか。しかし「温故知新」の言葉通り、デジタル化が進めば進むほど、物事の基本や考え方を学べる「そろばん」の効能や効力を活かせる教育をしたほうがよいのではないかと思っています。特に低年齢で始めるほど顕著に効果が表れると思います。これらのことは、そろばんを習ってきた人にとっては、明々白々な事実として、すでに皆さんご存じの通りだと思います。
 そろばん塾の教育も学校の教育もそうですが、検定試験や大会成績のように目に見える所も大切だと思いますが、実は目には見えないそれらの所も大事なことではないでしょうか。あの水泳の金メダリストの岩崎恭子さんのように小さい頃に花が開き、それを感じる人もいるでしょうし、私のように遅咲きで何十年後かに気づき、感じる人もいるでしょう、もしかしたら、気づかないで人生を過ごす人もいるのだと思います。

 ~エピローグ~
 少子高齢社会を迎えて、世界の中の「日本人」として自信と誇りを持ち、50年後100年後の未来を見据えて、未来を担う子供たちに何を教え何を伝え何を身につけさせていかなければならないのか。私たち大人一人ひとりが考えていかなければならないと思っています。
 ところで、私の思い過ごしかもしれませんが、珠算に関わってきた第三者として少し気になることがあります。それは、珠算教育者が分散し群雄割拠しているのではないかということです。いわゆる珠算戦国時代。切磋琢磨し珠算が繁栄していけば何もいうことはありませんが、マイナスの方向に向かうことだけは避けなければなりません。スポーツ界のように、お互いが再考する必要はないでしょうか。柔道の「自他共栄」の言葉通り、とにかく珠算界の繁栄と発展を願うばかりです。
 最後になりましたが、このたび、光栄にも原稿執筆の機会をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。珠算教育者の方をはじめ、珠算に関わるすべての皆様のご多幸と繁栄発展を祈念し、私からの応援メッセージとさせていただきます。ありがとうございました。

YELL  VOL.19~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ from 松井 敬子 

YELL  VOL.19
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 松井 敬子

111.jpg

<略歴>※全珠連会報第181号(2020.3)に掲載時点
東京都台東区出身 兵庫県芦屋市在住
えんぴつはかせ・alive書写教室代表
全国書写書道教育振興会理事
日本書写書道検定委員会 学校教育部門師範・全国大会手本揮毫者

書写指導活動
2001年より幼稚園書き方教室「えんぴつはかせ」をスタート
書き方指導法「文字リズム」を考案し、子供たちや幼稚園指導者を育成
2002年より芦屋市にalive書写教室を開校
2005年より兵庫栄養調理製菓専門学校 スペシャリストコースにて芸術分野 書道授業を担当
2008年より社団法人日本幼年教育会主催JAPE幼年教育研修会プログラムにて保育者を対象とした文字指導研修会を担当 同時に、全国各地の幼稚園指導者に文字指導実践プログラムを実施

出版活動等
2018年 幼年教育出版株式会社より出版された書き方教材「もじあそび」を範書・監修
2019年3月 クラウド版文字学習システム「えんぴつはかせ」をリリース

書道活動
2017年 神戸天才アーティスト発掘プロジェクト入選
2017年 解放区プロジェクト優勝
2018年・2019年 国際架橋書展最高顧問賞受賞


「読み書きそろばん」から、「新寺子屋」へ

 江戸時代の日本は、当時では世界で最も高い識字率5割程度にまで達していたといわれ、現代日本への発展の原動力になったといわれています。江戸庶民の初等教育から始まった「読み書きそろばん」。私は「そろばん」と並んで重要な「書き」に打ち込んできた書写書道家です。

 私は書写指導を生業として取り組んでから19年目になるまだまだ若輩者でありますが、多くの方々の支えのおかげでここまでやってこられました。このたびYELLへの寄稿という貴重な機会をいただきましたので、今までの私の活動を振り返りながら、改めて「読み書きそろばん」の大切さを皆様とご一緒に考えて参りたいと思います。

 私が書写を始めたのは4歳のときでした。最初はいくつかの習い事の一つとしての取り組みでしたが、8歳のときに全国書写書道教育振興会の創設者、吉田宏先生のご指導を受けてから心の扉が大きく開きました。

 吉田先生の熱い言葉、希望を与えてくれる励まし、その素晴らしい指導に強く引きつけられ全身全霊で書写に取り組むうちに、書写の喜びや奥深さに夢中になっていきました。小中高校と「とめ・はね・はらい」の日々を過ごし、大学に進んでからも兵庫県芦屋市から吉田先生の教室がある東京都青梅市まで毎月通って書写を続けてきました。

 大学生の頃、ご縁に恵まれて兵庫県神戸市の私立幼稚園で「書き方」の指導を担当することになりました。書写教室で後輩の指導をお手伝いしたことはありましたが、本格的な幼稚園児の指導は私にとって初めて経験する困難な壁でした。

 「そろばん」でも同じこととは思いますが、「書きかた」でも集中力が全てです。まだ幼い子供たちは集中が続かずに、教えたことが全く定着しませんでした。いえ、定着どころではありません。授業を始めた矢先にトイレに行ってしまう子供やおもちゃで遊びだす子供、50分間を終えると私の方がへとへとになってしまいました。

 このままでは続かない・・・と悩んだ末に、ただ一生懸命に指導するのではなく子供たちが自然と集中するようなやり方を工夫してみようと考案したものが「文字リズム」です。美しい文字を書くにはいくつかのポイントがあります。いたずらにお手本をなぞっても、そのポイントを理解し覚えないと美しい文字を書けません。そのポイントを音やイラストを組み合わせてリズム化しました。このリズムに合わせた指導が子供たちの興味をひき、指導者が大声でバタバタしなくとも子供たちの集中が続くようになりました。

 この成果はすぐに形となり、園児の全国大会入賞が相次ぎました。他の幼稚園からもお声がかりをいただき、先生方に「文字リズム」による書き方をご教授する指導者指導も進んでいきました。これらの活動の中でご支援くださる方々がだんだんと増えていき、幼稚園での硬筆指導に加え、硬筆毛筆指導を行う教室を立ち上げて現在に至ります。

 私が書写指導に取り組んできた19年間で世情は変化があったように思います。最も大きな変化のひとつがITの普及です。物心がついたときからコンピュータと出会う「デジタルネイティブ世代」が生徒の中心世代になりました。その時代の流れの中で、書写の喜びや厳しさ、美しい書き方の素晴らしさを伝えることの難しさは日々大きくなってきています。それでも、生徒たちがこれから向き合っていく高等教育や社会活動の中で糧となる、「昔風お稽古」の姿勢を身につけるお手伝いをするべく、もがき悩み試行錯誤を続ける毎日を送っています。

 私はこのように書写教育で二度目の困難な壁に向かっています。「文字リズム」の発明で一つ目の壁を越えたように、この二つ目の壁を超える知恵と工夫はないものか?そこで今取り組んでいるのが「クラウド版文字リズム えんぴつはかせ」の開発です。
 
 「教育の多様化」「グローバル化」これらの変化の中で集中の大切さを生徒に実感させるために、新しい技術をどん欲に取り込んでいく革新を実行しながら「読み書きそろばん」の原点に立ち返ることは大切なテーマであるかと考えます。「読み書きそろばん」の教育ツールを組み合わせた現代の寺子屋は、未来日本の発展の原動力になるのではないでしょうか?

 文字文化だけではなく、さらに美しきさまざまな日本文化に触れ体験できる「新寺子屋」は世界で活躍できる日本人を生み出すことができるのではないか?そのような大層な夢を持ちながら、今日も正座して「お願いします!」とお稽古を始めます。

YELL  VOL.18 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~from 須藤憲一 

YELL  VOL.18
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 須藤憲一

s.jpg

<略歴>※全珠連会報第180号(2019.11)に掲載時点
 昭和48年9月26日生まれ。現在45歳。新潟で28代続く浄土真宗大谷派の家に生まれ、父の仕事で20数カ国で育つ。
 東京大学大学院博士課程修了(人文社会研究科、宗教学宗教学史専攻)他にオーストラリア、ミャンマーなどで学位を取得。
 ミャンマーで研究後、日本に帰国。その後、子供たちにさまざまな習い事をさせ、そのなかでも長女の弥勒はジュニアゴルフ界でさまざまな記録を樹立。
 現在、茨城のゴルフ5サニーフィールドに勤務しながら、娘の指導にあたっている。


◆「娘さんの成功した秘訣はなんでしたか?」と聞かれたら胸を張って答えたい。
「そろばんこそが、娘を伝説のプロゴルファーにした最大の要因です!」と。

※本文より抜粋

 我が娘、須藤弥勒が「天才ゴルフ少女」として取りあげられてからだいぶ時が過ぎた。娘は5歳のときにIMGA世界ジュニア選手権で50年間破られていなかった記録を破り、史上最年少のチャンピオンとなり脚光を浴びた。連日メディアが家に押し寄せ、お茶の間を賑わしていた時期が長らく続いたので覚えている方もいらっしゃると思う。翌年、娘は再びアメリカの同選手権で優勝し、史上最年少連覇という快挙を成し遂げた。
 
 なぜ、たかが幼稚園児、小学校1年生のゴルフ大会でこれほど騒がれたかと不思議に思われる方もいると思うので、少し説明させていただこう。ゴルフの世界ジュニア選手権は、毎年アメリカのカリフォルニア州サンディエゴで開催され、世界52力国、米国本士の48州から予選を勝ち抜いた1,500人のジュニアゴルファーが集まり世界一を競う、文字通り世界のナンバーワンジュニアゴルファーを決める大会である。各国のジュニアゴルファーたちが、6歳以下から17歳までの年代別にわかれて真の世界チャンピオンが誰かを決める52年の歴史を持つ、ジュニアゴルフ界最高峰の大会である。少し鎛をつけるために過去の優勝者たちを記載すると、伝説的なゴルファー タイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン、アーニー・エルス、女子でいうならロレーナー・オチョア、その後、プロの世界を席巻していく名プレイヤーたちが、子供の頃にこのタイトルを獲得している。ちなみに日本からは池田勇太や畑岡奈紗などがワールドタイトルを獲得しているものの、宮里藍や石川遼など名だたるプレイヤーは日本予選は突破してはいるが、世界では優勝していない。あの、タイガーですら初めて優勝したのが8歳のときだったのだから、娘の5歳での優勝がどれほどの快挙だったか、説明するまでもないと思う。とにかく、ジユニアゴルフ界では凄いことを成し遂げたのだ。(笑)

 さて、娘、弥勒のことに話を戻すが、弥勒は 1歳半のときにゴルフを始めた。正確にいうと兄、桃太郎の練習を横から見ていた際に、サボリ癖のあるお兄ちゃんが「トイレにさぼりに行った」際、暇を持て余していた私が、弥勒に「やってみるか」というなんの深い考えもないなか、オモチャのクラブを振らせてみたのがきっかけだった。

 親バカではなく1球目から凄かった。これは多分下の子の特徴というか才能なのだろうが、上の子の観察で得た学習能力というか、まあとにかくお兄ちゃんが日頃からゴルフクラブを振るときに私からいわれていた注意点をしっかりと把握していた。びっくりすることに空振りすることもなく、「パン、パン」といい音を鳴らしながら 1球、1球を黙々と脇目も振らず打っていった。

 お兄ちゃんをいかに打たすかで苦労していた私は、弥勒のゴルフクラブを振る姿を見て驚嘆した。生まれ持った才能というものが、どのようなものかを実感した初めての瞬間である。そこから、すぐに妻を呼び、トントン拍子に話しが進み弥勒の本格的なゴルフ練習が始まったのだが、これがどうそろばんに関係しているか、ここまで読んで疑問に思った方も多いと思う。

 実は、弥勒のゴルフの成長と成功にあたって、人にはいえない「成功への秘訣」というものが何点かある。いわば門外不出の虎の巻の練習の仕方だったり、道具の選択だったり、食べ物だったり・・・逆にいえば、メディアで出た我が家の情報などは誰が真似をしても構わない、たわいもないものだと考えてよい。

 さて、その「門外不出の成功の秘訣のーつ」に“そろばん”がある。この原稿の依頼を全国珠算教育連盟からいただいたときに、妻がそろばんの重要性を説いてしまうので、断った方がよいと言ったほど、うちにとってはこれがゴルフの成功とどう結びつくか、本来なら触れたくも解説もしたくないのだが、うちの3人の愚子が言葉で言い表せないほどお世話になっている群馬県支部長であり、師匠である吉沢先生のお願いを無碍にお断りすることもできなく(笑)、どうせ書くならトコトン説明してしまえと、今回の執筆に至った。

 弥勒は3人兄弟の真ん中に生まれた。上から兄、本人、弟の構成で結構なんでもこなせるタイプだ。そろばんをはじめるきっかけは兄・・・の影響というよりは妻の影響が大きかったと思う。実は家内も私も自分たちの幼い頃、習い事としてそろばんをやっている。私などは本当に「ただ通うだけ」の月謝納めのような生徒だったが、それでも九九ができるようになったのはそろばんのお陰だったと自負している。家内はもっと本格的で幼稚園から中学校にあがるまで毎日そろばん教室に通い一応有段者である。(らしいではなく、本物の有段者であり、何故そうかと断言できるかというと、子供たちが始めて2年ぐらい経ったとき、少し進歩が遅れ、刺激を与えるために妻も子供たちに混じり同じ教室の同じ時間帯に自らも通い、弐段を取得したからである)

 その家内が子供の頃、出ていた競技会でいつも鉢巻きをして他のそろばん教室を圧倒していたのが、現在子供たちが毎日通う「あけぼの珠算学校」である。幼い頃の家内は、ずっと「あけぼの」勢に憧れをもっていて、自分が母親となり、子供たちが習い事をできる年齢になったら、絶対にそろばんに通わすと子供ながら自らに誓ったらしい。そこで私の研究が一段落して家族で日本に帰国した際に(ずっと研究でミャンマーにいっていたので)いの一番で、子供たちに(現在8歳である長男はそのときまだ3歳になったばかりだった)そろばん教室に通わせたいと申し出てきた。私はまだ早いと反対したが、妻の剣幕に押され、反駁(はんばく)諦め加減で承諾したが、結果これが子供たちの人生を大きく好転させた。本当に今、考えてみるとあれは人生の大きな節目であり、ひょっとすると成功をするかしないかの分岐点のーつだつたとも大袈裟ではなくいえるのかもしれない。

 というのも、そろばん教室に通わせて、そのうえで親が真剣に家で復習なり勉強させることにより、子供たちにそろばんならではの「秘密兵器」を伝授した。ただ、そろばん教室に行っているだけでは身につかないが、しっかりと親の監視のもと超真剣にそろばんに取り組んだ場合、他の競技や習い事では身につかない「絶対的な集中力」が身につく。

 この点を少し補足したい。まず、このことに触れる前にただの厚顔無恥の人間が戯言をいっていると思われないように、私のことを少しだけ書かせていただきたい。自分のことを宣伝しなければならないので大した人間ではないが、一応東京大学大学院にて博士課程を修了した。これが、どのくらいの意味を持つのか、自分でもよくわからないが、「一応」学歴社会の日本では何かを発言するときに、ささやかな気に留めていただく、塵のような鎛にはなるだろう。まあ、私のことはどうでもよい、集中力のことに話を戻そう。

 物事を行う際、集中力が大切だとよくいわれるが、この世間一般でいわれる「集中力」にもいろいろな種類のものがある。私の経験上、長時間続く持久的な集中力。やや、やんわりしているが、ことを運ぶには不可欠だが、常にスコープのように研ぎ澄ませたようなものとは違う、例えば車の運転に使うような集中力はこの類のものだ。中期的なもの、横にいくようなもの、斜めにいくような集中力などさまざまなタイプがあるが、そろばんは短期的な「じょうごのような、水を一点に流すような集中力」を作るのに最適だ。これがどのようなものか、実際にそろばんに本格的に触れたか、携わった人しかわからないと思うが(故にこの投稿を読まれている方々の殆どの方が私が今何を書こうとしているか理解していただけることを信じている)要は簡単にいうと短から中期に入る手前の集中力を人間の中で構築していくためには、これ以上ないほどの素晴らしい習い事なのだ。

 例えば、読上算などをみればよくわかる。読上算の場合、聞き手(計算する方)は絶対に聞き漏らさないように全身の神経を研ぎ澄ませ、なおかつ他の人が横で動いていてもそれに囚われることなく、自らの頭、指と読み手の声だけの世界を作りあげる。読み上げている何十秒の間で一瞬たりとも、その神経(絶対的集中力)を解放することはない・・・なぜなら、それをやってしまった途端に問題にはついていけなくなっているからだ。桁が大きくなっていけば、アイドリング状態の集中力では読み手には絶対についていけなくなる。故に知らず、知らずとそろばんを真剣にやる子供たちは、他の習い事で身につかないような一点性(針に糸を通すような)集中力を身につけることができる。

 これが、子供たちの全ての他の習い事、そして学業にも役にたった。よく、親が「そろばんをやったお陰で学校の算数ができるようになった」というが、これは私からみたらそろばんの副作用であって1番大切な本質のよい部分ではない。基礎とはいえ、現在の社会の数学はかけ算や引き算、わり算、足し算ができたところで満点が取れるほど簡単なものではない。この「学校の算数ができるようになった」だけでは、親たちにとってそろばんは小学校高学年で「お役目御免」の習い事でしかないだろう。

 ただ、そろばんの本質の効能と素晴らしさを知った人間は、そろばんはただ玉を弾き、算数の答えを導き出す道具ではないことを知っているはずだ。(計算だけなら計算機や計算機検定を取った方がよいかもしれないし、もっというならばパソコンに計算させた方が間違えなく効率がよい) 

 違うのだ。弥勒のゴルフ、特にプロをも凌くこともあるパターなどは、ほぼ全て「そろばんの集中力」からきている。グリーンを読む計算や、スコアの瞬時の駆け引きはもちろんのことだが、瞬時に自らのZONEに入れる高い一点性の集中力は間違いなく「そろばん」からきている。

 世界ジュニア選手権でも最終日最終組、アメリ力人の選手のお母さんがそのキャディーを務めていたのだが、弥勒がパターを打つ瞬間、傘をパッと広げたり、クラブを倒したり、見ているこちらの方が首根っこを掴んでやろうかと思った。しかし、当の本人は何事もなかったように「淡々」とパターを何食わぬ顔で決め、私が何を怒っているのかわからないようであった。

 そのとき、娘を出したそろばんの競技会のことを思い出した。 3歳のときから群馬県の市や県の大会に出場し、集中力の「場馴れ」をしている娘にとって自分の集中世界は多少のことでは崩れないほど確立されたことを・・・。そしてこれこそ、まさにゴルフで如何なく実力を発揮できた秘訣であることを。

 現在、年齢的にもだいぶ大きくなってきて、コルフの練習も今や10時間以上になった。学校にいく時間も減った。習い事もだいぶ少なくなり、犠牲になるものも多くなったが、娘はそろばんだけは続けている。本人の意思でだ。子供ながらにこれこそが、自分の成功の秘訣であるということがわかっているように。

 今後、娘が皆が期待しているような歴史に名を残す選手になったときに、もし記者などに「娘さんの成功した秘訣はなんでしたか?」と聞かれたら胸を張って答えたい。

 「そろばんこそが、娘を伝説のプロゴルファーにした最大の要因です!」と。

YELL VOL.17 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.17
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 高山 辰則

_convert_20190701094851.jpg

<略歴>※全珠連会報第179号(2019.7)に掲載時点
・1974年生まれ
・2001~2014年 IT業界にてプログラマとして勤務
・2008年より兵庫県小野市在住
・2014年~ 伝統工芸士 宮本一廣氏の下にそろばん組立職人として弟子入り


 2014年夏、私はこれまで働いてきた業界から全く正反対であるそろばん組立職人としての一歩を踏み出しました。
 
 「自分の住む街とは、一体どういう街なんだろう」

 そんな疑問からことが動き始めました。小野市にはあまり長く住んでいたわけではないので、それほど詳しくはありませんでした。これから永住する予定である街なので、知っておいて何一つ損はありません。

 いつもとは違った視点で街を歩くと、「そろばん」というワードの多さに気づきました。そう、小野市は「そろばんの街」だったのです。

 そのとき、ほんの数か月ほどではありますが父にそろばんを教えてもらった記憶、あまりよい記憶ではないのですが、よみがえりました。いまでもまだ実家に置いてあるそろばんを手に取って見てみると、なんとそれは小野市で作られたそろばんでした。これからこういったそろばんを自分が作るのかと思うと、胸がドキドキしてきました。

 さて、実際にそろばんを作ってみると、自分が思っている以上に手間のかかるものだとわかりました。見た目は単純そうに見えるのに、簡単には完成しない。そろばんに対する私の考え方が大きく変わりました。

 その辺りに放置していそうな粗雑な小さな木から、それは指先で愛でたくなるくらいまで磨き抜いて仕上げます。そのほとんどを手作業で行っていることに驚きました。機械を使うことはあるのですが、機械を使ったからといって自動でできる作業はありません。こちらが機械に対して、何かしらのアクションを起こさなければなりません。我々の想像を超えた手間のかかりすぎる作業ばかりなのです。

 だからといって手を抜いてしまっては使う方に失礼です。指先の痛みに耐え、手の感覚を研ぎ澄ませながら日々の修業を重ねていきました。

 ものづくりは、「1+1=2」とはなりません。出る答えが毎回微妙に違うのです。それをできる限り同じ答えに近づけていくように作業をしているのですが、なかなか思うようにできません。

 私の師匠がよく言う「職人は、一生勉強や」という言葉が徐々にわかってきました。60年のキャリアから発せられる言葉に重みを感じました。
  
 計算器具としてのそろばんは正しい答えが一つになりますが、製品としてのそろばんは100人いれば100通りの答えがあってもおかしくないのです。全ての人に気に入ってもらえるようには作れませんが、できるだけ多くの人に気に入ってもらえるように作っていこうと、日々努力をしています。

 最近になって引退される職人さんがポツポツ出始めてきたので、一人ひとりにかかるそろばん製作に対する責任が増してきました。一層気を引き締めて修業をしていかなければならないなと感じています。

 そろばんの製作とは別に、実演や体験など外に出ることが多くなりました。私は人前で話すことが極度に苦手なのです。今までもできるだけ人前に出て話をするのを避けて過ごしてきたくらいです。知っている人の前でも緊張するのに、それが知らない人の前となると心臓が口から出てくるかと思うほどです。

 嫌だからといって逃げていては何も進みませんし、変わりません。自分の発した言葉がどうだったのかを毎回振り返って、よかったところは次もそのレベルを保ち、悪かったところは修正して次につなげる、ということを繰り返してきました。

 なんと私の師匠は「作ってしゃべれる職人(笑)」なので、どのように話せばよいのかも丁寧に教えていただくことができました。師匠からは、どちらかというと失敗談を聞くことの方が多く、何もできない私には参考になることがたくさんありました。

 それを踏まえ実践練習を何度もすることで、日増しに話すことは楽になってきましたが、未だに苦手意識は取れないままです。これは人生経験と努力を積んでいけば変わっていくのかな、と前向きに考えています。

 組立職人として、そろばんの枠の作りも見て欲しいなと思うことが多々あります。ただ、使う人にとって重要なのは珠の動きなのでそれは仕方のないことであると理解はしています。ただ、自動的にできあがるものではないという視点から、少しだけでもいいので丁寧に手をかけた外面の仕上げを気にかけてもらえるとうれしいです。

 現在は、数年経たないうちにそろばん職人情勢が変わっていってもおかしくない状況になってきています。職人が減ると、今までのように簡単にそろばんが手に入らないかもしれません。そうなるまでに、私は次の世代に伝えられる技術を習得できるように修業していきたいと思っています。

 私がそろばん組立職人になって思ったことですが、今までやってきたことはもちろん何も無駄にはなっていません。
 ・現状を把握すること
 ・現在から未来へ見通しを立てて行動すること
 ・努力すること
 ・継続すること
 ・諦めないこと
たとえ業界が違えども、根底は同じです。努力をすれば必ず実を結ぶとはいえませんが、目的を達成できた人は何かしらの努力をしていると思います。ただ、駄目だと思ったらスパッと諦めて転換することです。損切りは大切!

 これからも色々な場所でそろばんを伝えていくことになると思います。たくさんのそろばんの使い手の方々と、いつかどこかでお会いできることを楽しみにしております。

YELL VOL.16 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~  

YELL  VOL.16
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 大内 幹博(パナソニック株式会社 珠算部監督)

P1020074_convert_20190304092840.jpg
※大内氏は右から2番目

<略歴>※全珠連会報第178号(2019.3)に掲載時点
・1969年
 大阪府守口市生まれ
・1977年
 珠算学習を開始
・1994年
 大阪大学大学院 工学研究科 通信工学専攻 修士課程卒業
 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社
 同社珠算部に入部
 入社以来、放送・通信分野の研究開発に従事
・1998年
 珠算選手を引退
・1999年
 同社珠算部コーチに就任
・2013年
 同社珠算部監督に就任


 私は小2進級後すぐに珠算を習い始め、松下電器(現パナソニック)に入社後、放送・通信分野の研究開発に従事しながら、29歳まで珠算部の選手として活動しました。その後、現在に至るまで、コーチや監督として部をサポートする立場にあります。この原稿では自分の珠算選手生活を振り返り、最後に私が実体験として感じていることを現在珠算を習っている方々への応援メッセージ(エール)としてお伝えしたいと思います。

珠算選手生活を振り返って

 小学校入学後は算数が得意科目で、小2進級直前に両親に「そろばんを習いたい」と言いました。両親は子供の頃はよく遊んだ方がよく、「習うのは小3からでよい」という考えでしたが、私はすぐに習いたい気持ちが一杯で、譲りませんでした。両親は「自分から習うと決めたのだから、どんなことがあっても休まないこと」と条件つきで、小2進級後、すぐに習うことを認めてくれました。
 習い始めて1年後に小3で初めて出場した大会で優勝し、他ならぬ私自身が一番驚きました。それからは塾の中だけでなく、大会で他の塾の選手と競い合う楽しさを覚えました。もちろん負けることもありましたが、「次はもっとがんばるぞ」とかえって闘志が湧きました。小学生時代は実力もグングンと伸び、辛いと感じることはほとんどありませんでした。しかし、中学校に入学した頃にはある程度実力がついていたことで急激な実力の伸びを実感できず、初めて苦しさを感じました。
 また、中学生といえばそろそろ色気づく頃でもあり、部活動をせずにそろばんに打ち込んでいた私は、サッカー部などスポーツに打ち込んでいる同級生が格好よく見えました。「何故、ちまちまとそろばんなんか続けているのだろう?」そんな気持ちが心の中に芽生えました。しかし、私はどうしてもそろばんをやめることはできませんでした。それまでがんばり続けてきたことが自分の自信の源であり、また大いなる誇りであったからです。やめてしまいたいという気持ちと、がんばろうという気持ちの間で葛藤しながら、時が経つにつれてやめたいという気持ちが消え去っていきました。中2以降、大阪府の一般の部まで含めた年上の超一流選手と合同練習をする機会を得て、その方々の真摯に取り組む姿を間近で見たことが、そのような雑念を消し去る決定打となってくれました。そしてこの合同練習が私にとってもう一段飛躍するきっかけとなりました。
 会社(松下電器、現パナソニック)に珠算部があり、入社後から29歳まで選手として活動しました。その後、現在に至るまで、コーチや監督として部をサポートする立場にあります。社会人ともなると全国に選手仲間ができ、それが貴重な財産となりました。今でも、仕事と両立して大会に出場している社会人選手に大きな刺激を受け、私も仕事などで大いにがんばらねばと、いつも気持ちが引き締まります。

仕事人として

 中学までは好きだった数学が、その分量の多さに高校ではあまり好きではなくなり、得意科目はどちらかというと文系科目でした。相当迷って興味のある理系に進み、工学部通信工学科に入学しました。その原点は小学生時代にあります。元々宇宙に興味があり、宇宙船ボイジャーが撮影した木星や土星の写真に大きな興味が湧きました。でも決定的なことは、小学校高学年でラジオに興味を持ったこと。きっかけは忘れましたが、高価なラジオでは例えば遠く離れた英国BBCの番組が聞けるらしいと知り、親にねだって買ってもらいました。入社後に放送・通信分野の道に進み、その英国BBCの研究者たちと約10年前に英国で実験をしたことは大変感慨深かったです。
 私は会社では技術開発を行っているため、数字を扱うことが多く、そろばんで培った計算能力や計数感覚が大いに役立っています。また集中力や粘り強さには自信があり、業務上の困難を乗り越える大きな力になっていると実感しています。

現在珠算を習っている方々への応援メッセージ(エール)

 まずは塾の中で目標とする人を見つけて、ぜひ練習の中でお互いに競い合ってください。競い合うことで、自分一人では発揮できない力を引き出せることがあります。また、たとえ検定試験に落ちたときでも決してくじけずに、さらに練習に励んでください。そうしているとすぐに効果が現れなくても、あるときに急に実力が伸びることがあります。練習により、目に見えない形で実力が貯金されていく、ということです。また珠算以外にもいろいろなことに興味を持ってください。その興味が将来自分の進む道につながり、その道でも珠算で培った集中力や粘り強さがきっと自分を助けてくれるでしょう。

YELL ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ 

YELL  VOL.5
~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~
from 武藤 洋一(群馬テレビニュースキャスター)

aa.jpg
<略歴>※全珠連会報第167号(2015.7)に掲載時点
昭和23年 群馬県伊勢崎市生まれ
県立前橋高校、明治大学法学部卒
昭和46年 上毛新聞社入社 主に社会部畑を歩む
平成16年 取締役編集局長
平成20年 前橋工科大学非常勤講師
平成24年 群馬テレビニュースキャスター(現職)


放送時間は暗算で

アメとムチ
 昭和33年春、東京六大学野球でホームラン8本を打った長島茂雄がプロ入りした。開幕1軍はもちろん、スタメンで3番。4番はあの「打撃の神様」川上哲治である。開幕戦は相手の国鉄(現ヤクルト)先発金田正一が「プロの厳しさを教えたる」とばかりに全力投球。長島は4打席4三振だった。しかし、それからは打ちまくった。シーズンが終わってみれば打率は2位だったが、本塁打王、打点王を獲得。スーパースターの誕生だ。私は小学校4年生。野球ばかりしていた。だれもが長島と同じ3塁を守りたがり、銭湯に行けば長島の背番号「3」の下足札を奪い合った。
 そんなとき、父がこんなことを言った。「定時制高校で勉強している生徒が昼間は会社でアルバイトをしていた。その会社で経理の人たちが数字を読み上げてそろばんで計算していたが、何度やっても合わない。そのときにこの青年がお茶をいれながら、頭の中で計算をしていた。脇から恐る恐る『正しい数字はこれですよ』と言った。そろばんができる。暗算がすごいということで、卒業と同時にその会社に就職できたそうだ」。父の話はこのあと「だからそろばんを習え」と続いたのは言うまでもない。
 プロ野球シーズンが終わったその年の11月、近くの松岡珠算塾へ通い始めた。2年2カ月後・・・小学校卒業寸前の6年生の1月に1級合格を果たしたが、そのちょうど半分にあたる1年1カ月は2級に挑戦していた。何度も何度も落ちた。先生いわく「野球やってちゃ受からない」。軟式とはいえボールを強く握る行為がそろばんを弾く指にいいはずがない。私にそろばんを勧めた父は「2級が受かったら新しいグローブを買ってやるから、それまで野球はするな」とアメとムチで迫ってきたが、相変わらず続けた。そしてようやく受かって買ってもらった。1,250円。2級合格より、グローブの方がうれしかった。もちろん55年たった今も使える状態だ。

「勘定板」と「壺算」
 高校ではそろばんに触れる機会はなく、大学でも無縁だった。だが、落語が好きで寄席に通った。そこで聞いた話をしよう。一つは「勘定板(かんじょういた)」。尾籠(びろう)な話で申し訳ないが、あらすじはこうだ。海に近いところに住んでいる田舎者が江戸の宿屋に泊まる。その村ではトイレのことを「閑所(かんじょ)」と呼び、用を足すことを「カンジョウをぶつ」と言った。浜辺には紐をつけた「カンジョウ板」があり、用事が済むと紐を引いて海で洗うシステムだ。村人は宿で用を足したくなり、番頭に「カンジョウをぶちてぇ」と頼む。番頭は「どこで?」。村人は考えた。「海は遠いし・・・この部屋はどうも・・・そこの廊下でぶつべぇ。カンジョウの板持ってきてくれ」。「カンジョウ板ですか?」。番頭はいろいろ想像してみた。「カンジョウ、カンジョウ・・・勘定をする板・・・きっとそろばんだろう」と底に板が張ってある大きなそろばんを持ってくる。村人が用を足そうとそろばんを裏返しにしてまたがると、転がり出した。「こりゃすげぇ江戸のそろばんは車仕掛けだ」。
 もう一つの「壺算」。今はあまり見かけなくなった壺を買う話だ。壺の大きさは「一荷(いっか)」「二荷(にか)」と数える。本当は二荷の壺を買いたいのにまず一荷の壺を3円で買う。一旦店を出てすぐ戻り「本当は二荷の方がほしかった。取り替えてくれ」。ここからこの男と店の親父のやりとりになる。「さっき一荷の壺が3円だったけど、二荷はその倍の6円でいいかい。オレはさっき3円渡したなぁ」「はい。確かにいただきました」「さっき買ったこの一荷の壺は3円だから足して6円だ」「?????」「分からねぇのかい?…そろばん出してみなよ。いいかい。さっき3円渡したろ」「はい。確かに」「それとこの壺が3円だ。合わせりゃ6円じゃねぇか。この二荷の壺をもらってくよ」。
 そろばんを習った人ならだまされないだろう。

消費税導入
 時代が平成になって消費税が導入された。3%とはいえ事実上の値上げだ。こんな不公平な話はない。「すべて一律に3%だから公平だ」という見方もあるが、収入の多い人と少ない人では、消費税分にかかる負担は違う。それはともかく、何を買っても3%を余分に払うことになった。
 どうせ払うなら、何か痛快なことはないか考えた。結論は・・・。商品の価格に1.03を掛けて合計金額を暗算する。小銭を用意しておいて、レジ係の人が「○○円です」と言うのと同時に、つり銭なしのピッタリのお金を受け皿に出す。目を丸くするレジ係。得意そうにウンとうなずきながらレシートを受け取って引きあげる。
 しかし、そんなシナリオはなかなかうまくいかない。久しく遠ざかっている暗算の腕前は情けないほど錆びていたからだ。合計金額が3桁なら何とかなったが、4桁以上は「はずれ」が多く、返り討ちにあった気がした。
 そして5%。このときは楽だった。3%は1%の3倍だが、5%は10%の半分。計算は楽になり、暗算の腕をあげるには役立たなかった。だが、8%になって再び頭を高速回転させる必要が出てきた。 100円の税込金額は 108円と即答できても、スーパーの価格はほとんどが1円単位。それに1.08を掛けるのは容易でない。しかし、そこが頭を鍛え、そして老化させないことにつながるのだ。
 今度は10%になるという。この暗算は楽だ。昨年春から8%にしたことで日本経済はしばらく滞ってしまったため、さらなるアップに懸念の声もある。計算は楽になっても、生活は楽にならない。

タイムキーパー
 3年前の3月から、群馬テレビのニュースキャスターをしている。月曜から金曜の夜8時~9時のニュース番組。22歳からずっと続けてきた新聞界から、63歳になってテレビ界への転身だ。ニュースを扱うことでは新聞もテレビも同じだが、紙媒体と電波媒体はまったく違う。記者は書き損じても書き直せばいい。適当な言葉が出てこなければ辞書や文献、資料を見直せばいい。記者は紙面に出ることは少なく、ペンだけで社会を斬ることを生業(なりわい)としている。しかし、電波、それもニュースは生放送だ。言い淀むことも許されない。
 もう一つの大きな違いは時間が決められていること。新聞も紙面のスペースは決まっているが、窮屈に詰め込んだり、見出しや写真を小さくすれば入らないとあきらめていた記事が入る。だが、テレビは秒単位。タイムキーパーという仕事があって、1時間の番組の中で「何分」あるいは「何秒」遅れている、もしくは早すぎるという合図をするわけだ。だが、それはキー局でのこと。地方の小さなテレビ局では、サブディレクターが兼ねていることが多い。私が関わっている番組もそうだ。兼務だから、そう細かい指示はできない。
 そこで、キャスター自身が時間をチェックしている。女子アナの読むニュース原稿を隣で聞きながら、何秒早いとか遅いとか。そしてそのあとの原稿が何分何秒の予定だから合わせて何分何秒・・・次のCMは、このままだと何秒遅れになるから、私のコメントは短めにしよう。これは暗算のなせる技。初めのうちは面食らったが、「石の上にも三年」。楽しく放送させてもらっている。